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【歴史概要102】ゲルマン諸国・フランク王国・メロヴィング朝・トゥール・ポアティエの戦い・カロリング朝

①ピレンヌ・テーゼによればイスラーム勢力によって地中海制圧により内陸に封じ込まれたゲルマン人がローマ文化やキリスト教を継承して新しい社会を構成していったのがヨーロッパだと規定している。

②すなわち「ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし」という
言葉から示されるのはイスラーム勢力が勃興しなければヨーロッパは存在しなかったという事である。

③古代ローマ帝国末期、ゲルマン民族のローマ領内侵入は西ゴート族のドナウ渡河から始まった。以後400年にわたって旧西ローマ帝国内に多くの国家が興り滅亡していった。

④西ゴート族はイベリア半島に建国した。追い出されたヴァンダル族は北アフリカに移ってチュニジアを中心に建国した。

東ゴート族はイタリア半島に建国したが東ローマ帝国に滅ぼされた。イタリア半島の北部にランゴバルド族が建国したがフランク王国によって滅ぼされた。

⑤メロヴィング家のクローヴィスが開いたフランク王国はドイツからフランス方面へ拡大移動した。正統教義アタナシウス派に改宗しローマ教会と友好関係にあったのが持続に寄与した。

⑥分割相続によって3つに分裂していたフランク王国で王に代わる実力を持っていたのが宮宰(マヨル・ドムス)であった。東部地域のカロリング家が中心となっていた。

⑦8世紀初頭に活躍したカール・マルテルは726年に北上してきたイスラーム軍をトゥール・ポアティエの戦いで破った。

そして息子のピピン3世がメロヴィング朝を倒した。751年にカロリング朝を樹立した。

⑧ローマ教皇はカロリング朝を容認した。

756年にピピン3世がラヴェンナ地方を教皇領として寄進した。これは感謝の意の表明であった。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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