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最後の総括

批評になると対象を決めてどこかしら否定要素を
入れなくてはならないわけです。中立論で書くと両論併記になるからです。

ただその否定要素というのは書き手の審判や断罪が文章の構造上どうしても入ってしまいます。これが私の文章の場合何らクッションもなく連続で記述される文章が多かったと思います。ゆえにこちらにその意図はないのですが罵詈雑言だと捉えられたと思います。

逆に云えば両論併記を避けるために
連続否定要素を取り入れ文章を構成していました。

私の記事スタイルはネットに暗躍する自警団や誹謗中傷などの煽り記事とはまた違います。これらとは一線を画していました。

問題点は2つありました。
①構成自体に分断作用が働きやすい文章であった事 ②審判判断による過敏に捉えやすい方々への配慮やカバーがなかったという事です。

アカウントを消すのはお門違いなので消しませんが残り続けた文章が新参者のマインドを抉りやすいと判断したので削除しました。

なのでHSPタイプの方々には少しキツかったかもしれません。また既婚者の方々や労働者の方々にはやや表現が強めでした。

現に生活をされている方々を揶揄するつもりはありませんでした。ですが人によっては揶揄されていると捉えられる文章構成だったと思います。

どちらにしろ客観的指標よりかは私の恣意的価値基準が文章のなかで優位に働いてしまった事は否めません。

構造論を踏まえての批判も多かったですが現実に生活を送っている人々の
人生を否定する権利など私には毛頭ありません。

これが結果的に条件分断作用を働かせてしまったと考えています。私自身分断をテーマに記事を書いていましたから矛盾している事を私自身流し続けた事になってしまいます。

今後も書き続けても恣意的価値基準審判や断罪が文章構成に入りやすくなるためここら辺が辞め時だと判断しました。私が少しでも分断に加担するなら今後一切書かない方がマシではないでしょうか。

軽々しくネットに記事を書くだけで書き手にそのつもりはなくても現実の生活者を罵倒する事が容易にできてしまいます。その事に今回気づきました。ですのでこれで批評を書くのは終わりにさせていただきます。

今まで読んでいただきありがとうございました。
何かコメントあれば実直な意見をいただけると幸いです。

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