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世界史モンゴル概論

モンゴル帝国は市販教科書に出てくるが大方よくわからないだろう。世界史と日本史双方から見なくてはならない。この当時のユーラシア大陸の政局や状況を鑑みて学習をする必要がある。

(1)この時代は強大な遊牧国が乱立し遊牧民と定住民を二重支配していた。宋王国の影響もあって多くの遊牧民族が独自の文字を会得し始めていた。

(2)13世紀初頭にモンゴル民族を統一したのが元祖チンギスハンである。女真族の金を圧倒して契丹族の西遼、タングート族の西夏、セルジューク朝から独立したホラズムシャー朝などと抗争をして滅亡に追い込んだ。

(2)モンゴル帝国の第2代皇帝はオゴタイハンである。
オゴタイはチンギスハンの三男である。1234年に女真国である金を滅ぼした。首都をカラコルムに置いた。

(3)オゴタイの次男のチャガタイは
中央アジアにチャガタイハン国を建設した。

(4)モンゴル帝国の第3代皇帝はグユクハンである。南宋を攻撃して西アジア攻撃の先鋒軍を派遣した。

(4)モンゴル帝国の第4代皇帝はモンケハンである。弟がフビライハンである。フレグを西方派遣したのもモンケだ。フビライハンは雲南の大理国を滅ぼしてベトナムの陳朝に進出した。

(5)西アジアへ遠征し1258年にアッバース朝を滅ぼしたのはフレグである。イルハン国を建設した。7代目君主のガザンハンはイスラーム教に改宗した。

(6)東欧のキエフ公国を滅亡させ1243年にサライを首都としてキプチャクハン国を建国したのはバトゥである。バトゥはヨーロッパ遠征の総指揮官だ。1241年にワールシュタットの戦いでドイツポーランド連合軍を倒した。

(7)モンゴル帝国第5代皇帝はフビライハンだ。1271年に国号を元とした。

(8)中国を統一してできたのが大都(北京)を中心とした元朝だ。カラコルムから遷都した。元は1368年の農民反乱である紅巾の乱で滅亡に近づいた。

(9)13世紀後半に元朝が支配したのは高麗である。仏教国高麗はモンゴル軍の傘下であった。高麗末期には高麗重鎮はモンゴル貴族化していった。それを打倒するために打ち立てられたのが朝鮮であった。

(10)鎌倉政府時代に日本侵攻を目論んだ。文永の役と弘安の役である。対元により異国警固番役の強化がされた。元はベトナムの陳朝やジャワ島にも侵攻しているが撃退された。

(11)中国の元朝で財政を担当していたのは色目人であった。
中央アジアや西アジアの部族が主であった。華北の人々は漢人、南宋にいた人々は南人と呼ばれた。

(12)中国の元朝で発行された紙幣は交鈔である。西アジアまで普及した。

(13)儒学は軽視され1度科挙を廃したが14世紀初頭に科挙は何度か行われた。

(14)中国の元ではジャムチ(站赤)といわれる駅伝制で全土を整備した。陸路と海路を発展させた。

(15)元の時代に生まれた陶磁器は染付である。景徳鎮で生まれて明代で生産されるようになった。イスラーム圏に大量に輸出された。

(16)中国の元でエリート層が帰依したのはチベット仏教だったが国家財政悪化の要因となった。

(17)イスラーム暦の影響で敦守敬は授時暦を作成した。この授時暦が日本の江戸時代に伝わって貞享暦となった。

(18)庶民の間では『西廂記』『漢宮秋』などの元曲が流行した。イタリア人商人で元のフビライハンに仕えた後に『世界の記述』を残したのはマルコポーロである。『東方見聞録』として知られている。

(19)中国の元の首都の大都へ行き中国で初めてカトリック布教をしたのはモンテコルヴィノである。フランチェスコ派であった。

(20)ルイ9世に派遣されてカラコルムで第4代皇帝モンケハンに対面したのがルブルックである。十字軍の協力要請と布教の両刀使いである。ローマ教皇に派遣されてカラコルムに行ったのはプラノカルピニである。

(21)イルハン国の宰相のラシードアッディーンは『集史』を記した。
世界初の世界史書である。

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