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【歴史19】エジプト史備忘録18(王家の谷・墓泥棒・アメン神権国家・第21王朝)

エジプト史の学習内容を深めていきます。

①第20王朝末にエジプト国内は混乱して治安が悪化した。
テーベでは王家の谷の王墓で墓泥棒が頻発した。
王墓をつくっていた職人も泥棒をしていた。

②第20王朝最後の王ラメセス11世の治世に
墓泥棒や葬祭殿荒らし、リビア人の侵入、飢饉といった
事態にみまわれ治安は悪化していった。

③テーベの治安を取り戻すためにラメセス11世は
ヌビア総督のパネヘシにテーベの支配を命じた。パネヘシは
アメン神官団と対立していった。

④アメン神官団と対立したパネヘシはアメン大司祭アメンヘテプを追い出した。アメンヘテプがラメセス11世に助けを求めるとヌビア総督とアメン神官団の内輪もめが激化して内戦が起こった。

⑤パネヘシは王に逆らって中部エジプトの北部まで軍を進めたが王の軍に敗れた。ヌビアに撤退したパネヘシはそこで一生を終えた。パネヘシの死後は義理の息子で将軍のヘリホルがヌビア総督の称号を継承した。

⑥アメン大司祭の座に就いたヘリホルは独自の年号ウヘム・メスウト(再生)を制定してラメセス11世の治世19年が端緒である。上エジプトにアメン神の神権国家が形成された。

⑦同時期には下エジプトでは軍司令官スメンデスが実権を握っていた。ラメセス11世の権威は弱まっており目立たなくなっていた。

⑧ラメセス11世が亡くなりスメンデスが王に君臨した。デルタ地帯のタニスを首都とする第21王朝がはじまった。

⑨アメン神権国家ではパネジェム1世がアメン大司祭を継いで王を名乗った。上・下エジプトはファイユームの近くのアル=ヒバを境とした。複数の勢力が並立する第3中間期のはじまりである。

⑩アメン神権国家が用いた元号ウヘム・メスウト10年になると王家の谷でアメン大司祭が組織的な盗掘をしていた。奪った装飾品などで財源を確保して地位や権力を獲得した。

⑪パネジェム1世の息子のうち2人はアメン神権国家の王となった。もう1人の息子プスセンネ1世は第21王朝の王位を継承した。アメン神権国家と第21王朝は良好の関係を築いた。

■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社

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