見出し画像

【歴史概要28】イラン・イラク戦争

①イラン・イスラーム革命は1979年に起きたが同時期にイラクではサダム・フセインが大統領に就任した。

②ティグリス川とユーフラテス川は下流で合流しシャットル・アラブ川となる。この地域の領土問題をめぐってイランとイラクは対立を続けてきた。

③1980年にサダム・フセインはこの問題の解決のためにイランに宣戦した。これにより以後9年にわたるイラン・イラク戦争が勃発した。

④開戦後は準備万全のイラク軍と革命後の混乱が残るイラン軍ではイラクの方が優勢であった。アラブ諸国、ヨーロッパ諸国、ソ連はイラン革命への脅威からイラクを支持した。アメリカもイラクをサポートした。

⑤イランはリビアやシリアがイスラーム重視の立場からサポートした。イスラエルもアラブ諸国との関係からイランを支援した。またイランは北朝鮮と緊密な関係を形成していった。

⑥イラン人の革命防衛意識は高かったが、イラクは軍部とバアス党の対立があり戦線は膠着化した。

⑦1981年にはイスラエルがイラクの原子炉を空爆する事件が起きた。1982年にはシリアが国内を走るイラクの石油パイプラインを
止めたことがイラクへの打撃になった。

⑧同時期にレバノン内戦が再び激化していた。

1984年にそのレバノンから多国籍軍の一つであるアメリカが撤退したのは大きな転機となった。

⑨レバノンから撤退したアメリカはイラクを正式にサポートしていく。イラン側もミサイル攻撃を本格化しお互い譲らない状態が続いた。イラク側は化学兵器を用いてイラン側に多大な被害を及ぼした。ただしイラン側が化学兵器を使ったとも云われておりこの辺りは曖昧である。

⑩1987年からアメリカ軍が直接介入するようになった。

イスラーム保守派でイランに寛容だったサウジアラビアが断行を通告したなかでイランは停戦を受け入れ1988年に停戦条約が締結され戦争は終結した。ホメイニは1989年に亡くなり1990年に両国の国交は回復した。

⑪イラン・イラク戦争では両国でクルド人が利用されていた。主にイラン・イラク・トルコの国境が交わる地域であるクルディスタンを中心に居住する民族である。第1次世界大戦後の領土分割の際に、国民国家が建設できず、3国に分散されてしまい、各国で少数民族として差別的に扱われている。

⑫イランはクルド人を支援しイラク体制の動揺をはかりイラクはクルド人へ化学兵器を用いた攻撃を行いその動きを抑圧した。

⑬イラン・イラク戦争の影響は中東地域だけのものではなく南米のニカラグアにも飛び火した。ニカラグアはアメリカの影響が大きくその利益を得ていたのがソモサ家だった。

1979年に革命家サンディーノが主導したサンディニスタ民族解放戦線がソモサ家を倒した。

⑭サンディニスタ政権へ抵抗するために反政府組織コントラが樹立された。アメリカはこのコントラを支援していたが主にイランへ密輸した武器の代金があてられていた。この事件は1986年に発覚しレーガン大統領を苦境に陥れた。

⑮イラク側はイラン・イラク戦争をアラブ対ペルシアの戦いとして正当化した。637年にササン朝ペルシアをアラブ軍団が破ったカーディスィーアの戦いの栄光を呼びかけた。

この戦争はアラブ諸国のイラン革命波及の抑制を担った事と米ソともにイラクを支持した。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

この記事が参加している募集

学習教材(数百円)に使います。