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「価値を見つめ、未来を創る」ーリサイクルが生み出す新たな可能性

私たちトラストエージェントは、残置物撤去を事業としている会社です。分かりやすくいうと「不用品回収」、平たく言えば「ゴミ屋さん」になります。

主に企業様、特に不動産業や不動産に関する士業の方と、互いに協力・連携しながら仕事をしています。お困りの方々にとってのパートナーでありたいと考えているので、撤去以外にも依頼先を探すほどでもないような、ちょっとしたお手伝いをお引き受けすることもあります。今回は私たちを知ってもらう一つのきっかけとして、7月1日付でトラストエージェントに入社した「尾崎 祐哉」にインタビュー!幼少期の思い出、仕事に対する想いなどをたっぷり語ってもらいました。

「原風景」の中で過ごした幼少期。ひいおじいちゃんの家から始まったアンティークへの道

ー尾崎さんの幼少期や学生時代について教えてください
今は京都で働いていますが、地元は埼玉県の狭山市なんです。幼少期の記憶で特に覚えているのは、ひいおじいちゃんの家です。そこは古い日本家屋で、いわゆる『原風景』のような場所でした。小学校入学までは狭山市の米軍基地のあった場所に住んでいて、地元の方々にはとても親切にしていただきました。地域の方々は外国人を見慣れていて、モンゴル出身だった母を優しく受け入れてくれました。記憶の中で純化されている部分もあると思いますが、自分のルーツの一つだと思っています。有名な方では、YMOの細野晴臣さんも住んでいたことがあるんです。

ー狭山市を離れてからの学生時代はどのように過ごされていたんですか。
小学校に上がってからは少し問題児でした。勉強は嫌いじゃなかったんですが、意味を感じられない勉強には全く興味が持てなくて、やらされるだけのことが頭に入らなかったんですよね。でも本は好きで、図書室にはよく通っていました。小学校の頃から『ダレン・シャン』や『ハリー・ポッター』、それから『指輪物語』のようなファンタジー小説に夢中でした。この頃から物語の世界に心惹かれていたのが、今のアンティークや歴史好きにも繋がっていると思います。

古代史に関心があり、大学受験の時には考古学を学びたいと思っていました。第一志望の大学に落ちてしまい滑り止めで受けた他の大学に行きたいと思えず進学することを辞め、TSUTAYAでバイトをしていました。返却された商品を棚に戻す仕事がとにかく楽しかったですね。興味のある映画やCDの名前がどんどん頭に入ってくるので、いつの間にか一番速く返却作業ができるようになっていて(笑)。埼玉県で一番売上がある店舗の中でも一番速いって自慢でしたね。

結局、大学で考古学は研究しなかったのですが、今の仕事はまるで発掘調査をしているようで楽しいです。現場で地券や古文書が出てくるときは一人で興奮しています(笑)
大体古くても幕末から明治のものが多いんですけどね。

未来が見えない毎日からもう一度大学へ。憧れの恩師との出会い、取り戻したかった「学生自治」

ー再び大学進学を目指そうと思ったきっかけは何かあるんですか?
大学進学を再度考えたのは、母がずっと大学に行くことを勧めてくれていたからなんです。自分でもアルバイトばかりに飽き始めて未来が見えない事を辛く感じていました。この頃には考古学ではなく、フランス文学やアメリカのビートニクに興味があり、芸術運動でいうとシュルレアリスムなどに関心がありました。9月頃からいくつかの大学を調べ始めて、受験大学を心から進学したいと思える2校だけに絞り、特待生で受け入れてくれる方の大学の表現学部に進学しました。クセの強い教授ばかりだったのですが、皆さんからは思想、精神性の面で多大な影響を受けたと思っています。僕の好きだった詩人と面識のある教授も居て、その人にはすごくお世話になりました。腰の低いイケオジでしたね。

ー大学生活で印象に残っている活動はありますか?
大学時代には学園祭の復活活動に取り組んでいました。僕の母校の学園祭は昔はオールナイトで行われていて、学生主体の自由な校風が象徴されていたんです。ただ、事故が相次いだことからオールナイト開催は中止されてしまっていて。僕たちはその雰囲気を取り戻そうとして、学園祭のポスターを作って校内に貼ったり、授業前に教授から5分ほど時間をもらって活動内容を説明したりしていました。結果的にオールナイト開催は叶わなかったんですが、目的は『学生自治を取り戻す』だったので、活動を通してその一端に触れられたと思っています。

大学中退ーー情熱を求めて京都へ。「適性がある」から始まった夢への一歩

ートラストエージェントで働き始めたきっかけを教えてください。
大学3年の時に、教授と意見が合わずゼミから破門され大学を中退しました。その後、就職らしい就職はせず、川崎、町田、大田区、郡山など住む場所を変えながら燻っていました。その後、京都に進学する彼女について行く形で京都に移り住みました。元々関西に憧れがあり京都に行くことはすごく楽しみで、地に足をつけて情熱を持てることを見つけようと思っていました。元々趣味だったリサイクルショップ巡りをしているうちに、同じ事をしたいと思うお店に出会いました。そんな時、彼女がネットで現在の会社を見つけてくれて面接を受けました。

ー会社での現在の役割は?
現在は販売業務を担当しています。初めての仕事で印象的だったのは、デミタスカップを見つけたときです。見た目が気に入って一人で興奮して調べたら高価なもので、それを社長に伝えたところ『尾崎には適性がある』と認められました(笑)。それから古物について詳しくなっていきました。12月には新しくオープンするリサイクルショップの店長も任される予定です。

ー販売するうえでの難しさや工夫していることは?
値段設定が特に難しいですね。僕の考えでは、本来の価値に見合った価格と、すぐに売れる価格は違うことが多いです。適正な価格で売れないときには焦りもありますが、安すぎると商品がガラクタに見えてしまうこともありますし、もちろん僕の実績は参照される事になるので、安く売ることによって商品の相場を下げることにも繋がりますしね。だから『ちょうどいい』ラインを見つけることが重要だと思っています。最近は値段の見極めも少しずつ掴めるようになってきて、売れるスピードが上がってきたので成果が見えて楽しいですし、市場に価値を提案する作業は難しいですが、やりがいと意義を感じます。

「リサイクル業界に新たな価値を」ー木のぬくもりを未来につなげる

実際に販売しているものを使用

ー今後について、目標やビジョンはありますか?
目指すのは、京都で一番のリサイクルショップ
です。そしてゆくゆくは、オークションを開けるような市場主になりたいと思っています。夢やビジョンだと関西、特に京都を文化の中心地に戻したいと思っています。来年には大阪で2回目の万博が予定されていますしね。
値段をつけて販売することによって、その物が大切に扱われることが増えていくと思うんです。価値のないものは0円にするのではなく、適正な値段をつけて経済の流れに戻していくことで、後世にも残るものになっていくんじゃないかと考えています。
あと、僕は木の家具が大好きなんですよね。昔から流行っている“モダン風”があまり好きではなくて。まるで無菌室のようなモダンが流行っている現状を変えたいと思っています。杢目調や天然木の暖かみがこれからの未来に必要だと思っています。

ー最後に、尾崎さんにとってこの会社はどんな場所です
一言でいうと『夢を見させてくれる会社』です。最初はノウハウを学ぶために入社したつもりでしたが、まさか自分が一から店を開拓するとは思ってもいませんでした。この会社で挑戦できる今、夢を持ち続ける限り頑張れると思っています。市場での価格や価値を提案する立場にあることの面白さも実感していて、リサイクル業界に新たな価値を生み出していきたいと思っています。


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