指摘は指導ではありません( #今朝の一言_ラッパの吹き方 )
毎朝7:30に「 #今朝の一言_ラッパの吹き方 」のタグで荻原個人Twitter(現X)と「ラッパの吹き方」Facebookページにトランペットのことや音楽のことをいろいろ掲載しています。
先日はこんなこと書きました。
#今朝の一言_ラッパの吹き方 は何日間か連続でひとつのテーマを書くことも多く、この「音楽における指導」についてもこれ以外にいくつか書きました。Twitterのように断片的な掲載の仕方をすると、前後関係のつながりがないことや文字数のために根拠や経緯を示すことができず、突飛なことを言っているように感じられたり、勘違いされることが多いのもSNSの特徴です。
指導は「ケア」がセットでなければならない
学生の頃、コルネットを吹く機会があって音出しをしていたのですが、違う楽器の先輩が僕の前を通り過ぎる際に、
「コルネットの音じゃないね」
と一言だけ言い残して去っていきました。
もちろん自分でもコルネットがどんな音なのか音源を聴いたり、トランペットとの違いを調べたりといろいろしていたつもりですが、この一言で「じゃあどんな音がコルネットの音なのだろう」という疑問や困惑、そして混乱ばかりが大きくなりました。
その先輩の言葉は優しさなのか厳しさなのか、嫌味なのか。そして何が原因なのか。どうすれば良いのか。そもそもその先輩ひとりのマイノリティな感性から生まれた言葉なのかもしれないし、マジョリティかもしれない。
その先輩をとっ捕まえて「それならどうすればいいんですか?」とレッスンしてもらう手段もあったかもしれませんが、ちょっと違いますよね。雰囲気が悪過ぎる。その理由は後で解説しますが、「コルネットの音じゃない」と言いたいなら、言った人はその先まで面倒見る覚悟がなければいけないと思うのです。例えば、「コルネットの音じゃない」に続きまして、
「〇〇という奏者がいるから聴いてごらん」
「〇〇というブラスバンドの演奏を聴いてごらん」
「〇〇という本を読んでごらん」
「〇〇さんが詳しいから聴いてごらん」
というアドバイスや、
「コルネットはマウスピースの形状で大きく変わるんだよ」
のように物理的なアドバイスや奏法に関してでも良いと思います。
ただ、コルネットは金管バンドとソロとオーケストラと吹奏楽では求められる音が違うので、それを確認せずして「それはコルネットの音じゃない」と言い放つのは、やはり違うと思うのです。だって僕がコルネットを吹いている経緯を知らないじゃないですか。
指導と指摘の違い
同じように吹奏楽指導の現場などでも「そんなんじゃダメだ!」とか「ミスするな!」などを言い放つだけでその後のケアがないものは相手を精神的な重圧と混乱と心の傷をつけるだけで解決になっていないので、僕はこれを指導とは呼ばず「稚拙な指摘」と考えています。「ミスするな」って、ミスしたくてしている人なんていないわけです。ミスしている人には原因があり、それを解決するためには個人差があれど少なからず時間がかかるものです。
その原因を見抜き、練習方法など知識を伝え、実践を促してその経過を確認し、場合によっては軌道修正し、進むべき方向に間違いがないか結果が出るまで付き添うのが指導です。
もし専門分野外であるならば、自ら学ぶことも必要ですが時間がかかるので、専門の人に依頼することも指導者のすべきことです。
指導と指摘の違い、おわかりいただけたでしょうか。
指導には契約関係が必要
少なくとも僕はこのように考えているので、無責任にならないように講師や指導者という立場の範囲外で気になったことがあってもレッスンめいたことは自分からは言わないよう心がけています。
なぜならレッスンや指導は契約関係が必要だからです。
先ほど先輩から「コルネットの音じゃない」と言われた際に「じゃあレッスンしてくださいよ」という状況が不自然である理由もここにあります。
レッスンや指導は依頼を受け、それを承諾する。相手から「教えてください」があるから成立している状態です。音楽教室や部活動の外部指導者として依頼される場合はこれにあたります。なお、契約というのは双方が納得した状況である、ということであり、そこにお金が発生するかどうかは別です。
問題になりやすいのは、一般バンドでの「団員」という同じ立場であるにも関わらず年齢や経験年数、所属年数などから、まるで仕事の上司のように勘違い指導者ズラしてしまう状況です。双方に信頼関係があり、教わる側が指導を求めているのであれば問題が起こりませんが、そうでないにも関わらず頼んでもいないのにあれこれ言ってしまうと「教えたがりオジサン」になってしまい、「余計なお世話」「上から目線」「偉そう」「口うるさい」などと煙たがられてしまいます。
卒業生が部活に来た時も同じです。頼んでもいないのに先輩ずらしてレッスンや、それこそ「指摘」をするのはかなり痛いものがあります。高校生の僕が母校の中学校によく行っていた際、そんな感じだったのでよくわかります。ウザくてホントすいませんでした(30年前の話)。
契約関係があったとしても根拠が示せないのであればただの指摘
また、契約関係があったとしても、その指摘が意味のある指導に昇華できないようであれば、指導者とは言えません。そこに必要なのは根拠です。
音楽には無数の解釈、表現方法がありますから、レッスンや指導を受ける側がそれを受け入れ難いと思ったとしても、指導者に明確な根拠があれば「それもひとつの考え方なんだな」と理解し、知識としてのストックが増えるわけですし、それを元に応用する力もつけられます。
表面的な言葉を言い放つだけでは相手を納得させることはできませんので、指導者は必ず根拠をセットにして伝えてほしいと思っています。
ということで、SNSでは書けなかったところも書いてみました。いかがでしょうか。
僕が指摘に対して「稚拙」という言葉を使ったのは、「私は指導者だ」と言うのであればその道の専門家なのだから、テキトーにやんないでくれ、ということが言いたいからです。「合ってない」「楽譜と違う」「そんなのダメ」みたいな誰でも言えるような言葉を並べて、それが指導だレッスンだなどと言っていただきたくないわけです。
指導者も常に学び、常にアップデートが必要です。
荻原明(おぎわらあきら)