フォース論・Ⅲ 「フォース」の覚醒から、映画鑑賞のヒントまで。
前回のフォース論・Ⅱでは、「選ばれし者」の役目は、フォースのあるべきところへの解放だったと述べました。さて、この稿ではその後フォースはどのような行方を辿ったかを振り返りながら、ぼくの中のシークエル・トリロジー(エピソード7~9)に関する評価を綴って参ります。
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ここまでフォースを論じてきましたが、解釈のヒントをくれたのは、実はエピソード8「最後のジェダイ」でした。「最後のジェダイ」を観て、様々な気づきを得られたのです。
「最後のジェダイ」でのヒント
・フォースをコントロールしつつあるが、何者でもない(少なくともスカイウォーカー家の血筋ではない)と断言されるレイ
・ラストシーンの、フォースを操る子供
・人が訪れることのない島に隠遁するルーク・スカイウォーカー
これらの要素から、シークエルのテーマは「誰にでもフォースを使える」「フォースに巡り合うチャンスがある」「誰でも主人公になれる」この辺にあるのだと思いました。理由を順に掘り下げます。
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