分からない
恋人という存在が、不思議でならない。
どうして、異性同士がペアになって、お互いのことをこの世で一番大事にしなければならなのか、私は分からない。
どうして同性の友達よりも優先されるのか、分からない。
別に同性結婚がどうとか、LGBTQがどうとかいう話をしたいのではない。
私自身は生物学上「女」であるため、ここからは女の視点で書かせてもらうが、
今まで親友としてずーっと一緒に過ごしてきたような女友達でも、彼氏ができた途端、その彼氏がいつでも「No.1」で、必ず友達よりも優先されるべきだという暗黙のルールが出来上がる。
どんなに私がその女友達の理解者でも、相談に乗っても、笑わせても、プレゼントをあげても、いつでも心は最終的に彼氏のもとに帰る。
なかなか忙しくて最近会えてないね、会いたいね、なんてメッセージを送り合っていても、彼氏とは週一以上で、意地でも時間を作って会っていたりする。
いくら楽しい時間を一緒に過ごしても、楽しいねと笑いあっても、解散すると彼氏に電話をかけ、今日あった出来事を報告し合う。そして、「彼氏と電話でこんな話やあんな話が出来て楽しかった」という気持ちで一日を締める。
その日、解散したその瞬間から、心は彼氏によってのみ満たされているような気がしてならない。
私が目の前にいない時には、まるで「彼氏以外のヒト」としてその他大勢の知り合いと一緒にShiftキーで選択され、心の中から存在が一斉削除されている気がしてならない。
いくら同性の友達である私が愛を届けても、好きだと叫んでも、彼氏には敵わない。
私にはそれが、よく分からない。
どうして?
友達と恋人、何が違うのか?
どうして異性としか、そういう関係にならないのか?
例えば幼稚園の頃から20年間も仲良くしていても、その女友達にとってはそんなヒトより、出会って1年の彼氏の方が余裕で愛が深かったりする。
どうして?
同じような感情を、「推し」に相当入り込んでいる人にも感じる。
一緒に話している時にも、推しが情報解禁をツイートしただけで、その人の脳内は、「今日は推しのツイートのおかげで生きれた」になる。私との時間の記憶は消される。そんな気がしてならない。
まぁ、それが推しの偉大さでもあるのだけれど。(私にも推しはいる)
この世の中は、そういう決まりなのか。
同性の友達は一生報われないもので、常に想いは一方通行なのか。
恋人って、そこまでの存在なのか?
知りたい。
同性の友達よりも、恋人が必ず優先される理由を。
だったら、私も彼氏を作るしかない。
私だって…。
世の中そんな、甘くない。
こんなこと考えてるやつに彼氏ができるわけがない。
この世は狂ってる。腐ってる。
同性の友達を、もっと大事にしてくれよ。
こっちにゃ彼氏がいないんだから。
私の考えの方が、歪んで腐っているのだろうか。
分からない。