note7ヶ月記念

noteをはじめて7ヶ月が経った。連続投稿記録も210日を超えた。

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note生活も半年を過ぎ、7ヶ月という半端な日についていちいち書かなくてもいいといえばいいのだが。連続投稿を続ける上では貴重な1日の出来事だし、いろいろすぐに忘れてしまう最近なので、この1月を振り返るというのも、まぁ意味がないわけではないのである。

この1月はというと、今までと何となく心境が違っていた。半年という節目を迎え、noteとどう付き合っていくのか、答えは出ないがぼんやりと考える日々。そんな中で毎日何やかんやと記事を書いてきた。

この1月は、前日に文章を書くということが全く無かったように思う。外に対して何かを出すならば、最低限見られる文章を書かなければならない、そのためには前日に書いて当日読み直して推敲した方がいい、と前は思っていたし、もちろんその方がちゃんと考えられた文章は書けると思うが。毎日それを続けることは、少なくとも私にとっては現実的ではないのである。はっきりとそれに気付けた気がする。

これが仕事であるならば、そんな姿勢では駄目だと思う。お金をもらうならば、それに見合ったものをこちらも提供する必要がある。私はnoteを仕事にしているわけではない。仕事、家事、育児、日常生活を送る上でしなければいけないことは沢山あり、その空き時間で毎日書いているのである。もちろんクオリティは高い方が良いし、自分がnoteを書くことで何かしら成長できるように考えやっていくが、完璧な文章を毎日書くことはできない(そもそも完璧な文章など時間をかけたからと言って書けるものでもない)。

それよりは、日々何かしら考えたこと、気付いたことを日記のように書いていく方が、続けられるし自分にとって良いのではないかなぁと何となく思った1月だった。

子どものことでも、1年前の子どもがどうだったかなんて、正直ちゃんと覚えていない。noteにこまめに書いていれば、「あぁこの時はこういうことやってたなぁ」と懐かしく思い出すことができる。子どもに関係ない部分でも自分が何を思い、何を考えたのか、思い出すことができる。

そういう使い方が、今の私には合っているのかなぁと何となく思った。

日々の記事を書く時も、「今日はこれについて書こうかな」という大きな元になるネタは書く前に決めておくが、文章はいざ書くとなってから考えて書いている。その文章がどう転がっていくのか書く前の私にはわからない。書いていくうちにその事柄について深く考え、それが文章に追加されていく感じである。noteに書くことが深く考えるきっかけになるのならば、それだけでも書く意味はあるし、それで気軽に続けられるならそれでいいのではないかなぁと。それがこの1月の大きな気付きだろうか。

と書いたものの、1月後にはまた違った考えを持っているかもしれないし、その時にならないとわからない。付き合い方など付き合っていくうちにどんどん変わっていくのだから、その時ベストな付き合い方をすればそれでいいのである。

大人になった最近の方が、柔軟な考え方になってきた気がするな。


ではまた明日。


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