「はやく」と「ゆっくり」
今回、図書館で借りてきた中に『「はやく」と「ゆっくり」』という絵本があった。2022年の4月に出たようで、とても新しい本。読んで感動したので今日はこの話でも。
そんな話である。
私が息子に接する時は、本の中の親のように「はやく、はやく」と言っていることが多いと思う。なるべく待ちたいけれども、家を出る時間が決まっていたり、あまりにゆっくりしていたりする時には言ってしまう。
基本的に子どもは、「何でそんなに時間がかかるの!?」とびっくりする行動が多いのである。着る物は用意してあって着替えるだけなのに、何で10分経っても着替えられてないのですかね…?何ですぐに他のことに気を取られるのですかね…?やる気になった時はぱぱっとできるから尚更言ってしまう。
息子にとって私たち親は、「はやく、はやく」とよく言う人なのだろうと思う。
だからって、「ゆっくり」と言わないわけではない。ゆっくり食べたらいいよ。ゆっくり持っていってね。早くできなくてギャー!となっている息子に対して「そんなに早くできなくても大丈夫だよ。ゆっくりでいいよ」と言うこともある。
要はバランスというか。その場面、その場面で「はやくした方がいい」「ゆっくりがいい」どちらがいいと思うかは違っていて。いろんな要素を考えた上で「こっちがいい」と言っているわけである。
そこに法則を見つけられたら息子も納得しやすいだろうけど、おそらくまだ見つけられていない場面も多い。そこがわからないから、その場に適したはやさがわからないし、混乱するのかなぁと思った。親である私も、言動にはなるべく一貫性を持たせようと心がけているけれど。完璧にできているかと言われるとかなり怪しい。
本の中の子は、「はやく」と「ゆっくり」、どちらがいいのかわからなくなってくる。
どちらも間違っていないのである。ゆっくりすれば見えるもの、気付く事はたくさんあるし。はやくすれば、それだけ沢山のことをできるようになる。どちらも得るものはあるのだ。
後半、本ではこういう結論を出している。みんな心の中に、時計がひとつある。その時計は、時々はやく、時々ゆっくりになる。
この場面でははやく、この場面ではゆっくり。その場その場で自分が必要だと思ったり、心地よいと思ったり。そういうはやさに合わせればいい。そういうことなのかもしれない。
実はこの本。息子は一度「読んでー」と持ってきたのだけれど、それ以来持ってきていない。息子には響かなかったというか、おそらく難しかったのかなぁと思う。もしかしたら大人の方が読んだ時に何かを思う本なのかも。
自分が他人が過ごす「はやさ」について考えられる本。読んでみたら何か発見があるかもしれない。
ではまた明日。