不登校の妹が就学にするにあたり考えてること
こんにちは。
今日はハッピー不登校の4年生の娘の話ではなく、そんな姉を持つ次女のお話を。。。
ハッピー不登校でよかった
なんどもお話ししていますが、我が家はハッピー不登校。
本人が自ら行かないことを決めましたが、毎日も想像&創造し、身につけたいスキルのための努力を続け、気づけば4年生になりましたが、心からこの子を信じてよかった!と思っています。
当然学校の勉強は一年生の算数も怪しいかもしれませんが、非常に賢く、理解力やコミュニケーション能力も高く、そして周りや世界のことを考えられる素晴らしい子に育っているな、と思います。これからも彼女を信じて見守って行きたいと思います。
次女ももうすぐ一年生
一方そんな姉を持つ次女も非常に面白く、賢く、今後に期待なんですが、そんな彼女も間も無く小学一年生になります。
当然本人は姉を見てるので「学校はいかない」、、と言っていますが、ここは少し悩みどころです。
なぜなら長女は一旦は学校に行ってみてから、選択して不登校を選びました。
一方、次女は全く見ずに行かないといっています。
これは違う気もするんですよね。
もしかしたら学校が好きになるかもしれない。
ホームスクーラーより学校がいい!と思うかもしれない。。。
なので、基本的にはやはり一度学校に行ってから本人がチョイスすることが大事、、と思っていま。。。。。。した。
「一旦入学」でいいのか?
そうなんです。過去形。。。
ちょっとこの考え、間違いないと思っていたのですが最近は疑い始めています。。
なぜなら、学校って安全ですか?
学校って本当に「行ったら行ったで良い場所」ですか?
親は選択肢を奪うのでなく、あるものを見せ、子供が自分の意思で選ぶ、ということはとても重要だと思います。それが親の責任だとおもいます。
ですが、選択の中に「学校」を入れることが無責任な気さえして来たのです。
義務教育じゃなかったらちゃんと考えるはず
例えば、私はボーカルコーチですが、娘たちがネットで見つけた有名な先生の運営するボーカル教室に通いたいといったとします。。
同業者なのでその人の歌を聞けば、きちんと導ける人なのか、学んでいる人なのか、youtubeなど見てレッスン風景なども見れば一目瞭然です。
仮に同業者の私から見て、その教室がヤバいところだとわかったとしましょう。また中にはその人にならうとポリープを作る生徒が多い、、という情報もあるとしましょう。
それで娘がここ見つけたから行きたいんだよねー。と言ったら??
当然「ここはやめておいたほうがいい。なぜなら、、」という説明もしますし、
代わりにもっと良い場所を探そう。。という話になるのは当然ですよね。
公教育の場は、行くことがスタンダードで普通は日本に生まれたからには、行くところであり、デフォルトで選択肢の一つに入ってるわけです。
だから、何の疑いもなく、娘にとっても一つの選択肢として提示するつもりでしたが、果たしてそれでいいんでしょうか??
学校は自分らしくいると辛い
確かに学校に行けば、一生物の友達ができるかもしれません。
勉強が好きになるかもしれません。
でも多くの場合、人と比べることを覚え、競争することを覚えます。
勝てれば優越感を覚え、負ければ劣等感を覚え、いつもそれを最低でも平均な状態にするために頑張ることになります。
先日私の甥っ子(6年生)は今週の目標は「自分らしくないことをする」と言ってました。
「天然だね」と言われるのが嫌になって来たそうです。
とてもユーモアに溢れれていて、IQも確実に高いし、天才的に面白い子が「自分らしくないことをする」を目標にしてるなんてショックで仕方ありませんでした。
大人はいいます。
「それも経験。」
「ま、〇〇ちゃんなら大丈夫でしょ。」
「どこでも〇〇らしくいられるだろう」と。。。
本当にそうでしょうか????
この前教育支援の先生は子供の頃の失敗はリセットできるから経験した方がいいとおっしゃってました。
私はリセットできてない大人のコーチングばかりしていますが。。。。
よっぽど、周りに反応せず生きていければ良いですが、その確率の方が少ないですよね。
いかに周りを無視できるかが大事by成田さん
最近メディアで話題のイエール大学の教授である成田悠輔さんは、不登校でしたよね。
そしていまの教育に必要なのは、「いかに周りを無視できるか」が重要だとおっしゃっています。
それは自分勝手に生きるのではなく、ほかの人や大人が言う指標やKPIやらKGIを無視し、自分に集中することで、やがては自分のできることで社会と自然に繋がっていける、、そんな風に私は捉えています。
まだまだ学校は変わらない
いうまでもありませんが、学校は未だに横並びを大事にしています。勉強は関係ないといっても、友好関係なんかも実は横並びでないととても辛い場所です。
口では一人一人を尊重してと言うようになって来ましたが、30人を1人の先生がそれぞれケアするってどう考えても無理です。
最近飛び級は必要か?とか、ギフテッド教育は必要か、など話題になってますが、話のレベルが低すぎてドン引きです。
だって全員ギフテッドだし。数学得意な子とか、バレエとかピアノが世界レベルですごい子とか、IQ高い子だけをギフテッドと呼んでどうする。
一日中漫画読める子、一日中空想に浸ってる子だってギフテッドに違いないのに。
学校に馴染むためにみんながやること
あ、話がずれました。
だから普通に学校にけば、みんなフリをします。
自分じゃない学校バーションの私になるのです。
賢いフリ、イケてる女子のふり、ちょっと天然ボケっぽいフリ、イケメンのフリ、悪いフリ、良い子のフリ。。。
そうしないと生きて行けない、と学びます。
もうだから逆にはみ出したり、不登校を選べれば、ブラボーです。
自分の道を選べたんだから。おめでとうって感じ。
怖いのは、学校に馴染もうとすることです。こちらの方が大多数です。
そして大人になってカウンセリングやコーチングを受けて、あの頃の我慢がいまもずっとストッパーになっていたことに気づくのです。(気づけたらまだまし)
運任せ?賭けでいいのか?
もちろんこれらの問題に気づき、頑張って変えようとされている先生や学校もあると思います。確かに希望はあります。ドラマみたいな先生に出会い、人生において忘れられない思い出や経験ができるかもしれません。
でも、そんな先生に出会える確率は?運任せ?
これまで3人の校長先生と6人くらいの先生と喋って来ましたが、今のところ教育についてこんな風に会話できた先生はほぼ0です。
そんなことを考えていると、果たして学校に行くことを選択肢として提示すること自体どうなんだろう?と思ってきたのです。
余談ですが、当然マスク生活も続きますよね。
そんなくだらないことで、自分の子供が正しく呼吸できなくなるなんて普通に嫌だな。。。
とりあえず今月は健康診断があるらしいので、行くだけ行きますーw
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