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【最近読んだ本】自分とか、ないから。

古舘伊知郎さんおすすめの本を買って読んでみた。タイトルがまずインパクトがある。

『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
                                  著者 しんめいP

東洋哲学や仏教には前から興味があった。
が、しかし、なんとなく敷居が高そう。  

図書館や本屋で、立ち読みするものの、全ベージ、読む自信が持てず、静かに本を閉じては棚に戻すの繰り返し。んー、難しすぎる、かも?

なぜ、難しそうなのに、読みたかったのか。

なんとなく、心の支えになってくれそうだったから。漠然としすぎ。

話はズレるが、わたしはスピも割と好きだ。
けれど、一時的に沼っては、這い出たりの繰り返し。つまり、好きなのにハマりきれない。周りを見れば、スピ本など読まずに明るく健やかに生きている友人や先輩が私の周りにはたくさんおり、スピってなんなんだろう、と時々、我に帰ってしまうのだ。

昔、私がスピ好きと、現実主義のY先輩に話すと、『要するにまさばーんは、誰かに褒められたいんでしょ?』と一蹴され、なんの反論もできなかった。図星なのか。

いや、褒められたかったわけじゃないけど、やっぱり、なんとなく心の支えになってくれそうだったから、が正解な気がする。
しかし、そんなことを言おうもんなら、Y先輩にまたもや、ガツンと説教されそうで何も言えなかった。いつも中途半端な私。

じゃあ宗教ってどうなんだろう。

うちの祖母は、ある宗教団体の信者だった。深い信仰心ゆえとはいえ、自分の年金を多く注ぎ込んだり、その団体の新聞にご利益があるからといって、同じものを2部購読していたり(配達している信者も無償での配達だった)、嫌がる母を入信させようとする祖母の姿を幼い頃から見ていた私は、祖母というより、宗教団体に対してかなり懐疑的になった。

だから、宗教団体には今も全く興味がない。
でも、宗教学や仏教には興味がある。  

なんといっても、仏像の見た目が不思議で面白い。なぜ、あんなに奇抜な姿なのか。
不思議!もっと知りたい、っていうのが第一の理由である。

また、『お天道様は見ている』という言葉も小さい頃からよく聞かされていたため、日本古来の自然崇拝、太陽礼拝的な考えも、好きだ。
この言葉は、自分の道徳観を育んでくれた。

そんなこんなで、昔から私は、うっすら東洋哲学や仏教に興味があった。意識していなくても、東洋哲学はそれとなく身近にあった気がするし、博物館や鎌倉、奈良でみる仏像を見るのは面白かった。

そして、今、この本と出会い、読んでみた。  

感想。なんか、、、めっちゃ、分かりやすかった!!

素人にもわかりやすい説明で、文体も関西弁の口語であるせいか、親しみがもてる。
本の中には、ブッダ、龍樹、老子と荘子、達磨、親鸞、空海の人物像や哲学が、とてもわかりやすく書かれている。
ちなみに龍樹に関してはこの本で初めて知った。。。

でも、わたしは今まで、ブッダや空海などの本をまともに真面目に読んで来なかったので、著者がものすごい分量の文献を読んで、わかりやすく説明した文章だけでは、真髄まで理解できていないような気がした。

私のような人にとっては、東洋哲学の入り口のハードルを低くして、導いてくれるナビゲーターのような役割の本だと思う。

逆に自分で東洋哲学や仏教を深く学んできた人からは、全くちがう感想があがっている。実際にネット上では、この本に関する感想があちこち出ていて、それを読むのも楽しい。

わたしは、この本を読み終えてから、空海の本を探して読んでみたいと思った。

そして、読み終えてからまたこの本を読むのだろう。すると、また理解がより深まるかしら。
今から楽しみである。

ちなみに、この本で1番印象に残ったフレーズ

自分🟰宇宙
つまり
自分🟰大日如来

わたしなりにすごくしっくりした。





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