誰かと創作する、という体験
文学フリマ東京39に向けて、引き続きアンソロジーを作っている。
私は自分の原稿に加えて、メンバーの原稿の校正やスケジュール調整、そして表紙の作成やDTPも担当している。
アンソロジーに寄稿した経験はあるものの、今まで作ったZINEは全て単著だ。今回はなぜアンソロジーを出したのか、実際に制作を始めて何を感じたのか書いてみたい。
アンソロジーの醍醐味
そもそもアンソロジーとは何ぞや、という人のために手元の辞書を引用する。
同人誌やZINEにもアンソロジーはあるし、もちろん商業出版にもある。
私のお気に入りは沢木耕太郎の『右か、左か』だ(一応補足しておくと、この場合の右、左は政治的な思想とは関係がない)。
作家の時代も、作品のジャンルも統一されていない。共通しているのは、登場人物が二択を迫られるシーンだけ。
『右か、左か』には私が知らない作家もいた。作品が多様だからこそ、普段自分が読まないような短編にも出会えた。
バンドみたいなことをやりたかった
アンソロジーを読むものの、最近まで自分が出す方に立つとは思っていなかった。しかし昨年から文学フリマで自分のエッセイを出すうちに、一人にこだわらず作品を出したいと思うようになった。
文章を書く行為は、総じて孤独な試みだ。特にZINEを作るにあたっては、編集者がいるわけでもない。実際に出すまで読者が現れるか、誰にもわからない。
知り合いに芝居やバンドで活躍している人が何人かいる。彼らは他者と共に創作を行っている。舞台の上で一体となって一つのものを生み出す姿にあこがれた。
といっても私は文章しか書けない。彼らのようにステージの上で歌や楽器、演技はできない。だから文章でバンドみたいなことをやってみたかった。
メンバーは今までに関わった人に声を掛けて集めた。今までエッセイを書いた経験がない人もいたが、この人ならいい文章が書けると思って誘った。
そして1冊だけのバンドが結成された。
実際に始めてみて
一人で書くより、スケジュールや原稿管理の手間は増える。校正するにも、独断ではなく書き手とのすり合わせが必要になる。
しかしそれ以上に、同じテーマで書かれた十人十色の原稿を読むのは楽しい。他者と創ることで、自分一人ではたどり着けない場所へ行けるような気がする。
12/1の文学フリマ東京、ぜひ完成したアンソロジーを手に取ってほしい。
ブログもやってます
アンソロジー主催の具体的なノウハウはこちらで。
ZINEの作り方を紹介しています。
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