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伝染する"意識高い病"
嫌われる勇気、7つの習慣、金持ち父さん貧乏父さん、他動力… 世の中には数え切れない程の自己啓発本が売られています。
最近では人生論や成功するための〇〇などを色んな会社の社長が出版するぐらい一般的になりました。大学の同期でも堀江貴文さんの他動力に影響されてベンチャーを起こす人も…
今、日本中が自己啓発に溢れています。
皆さんは品田遊という作家さんをご存知でしょうか。ネットライター業の傍ら「居酒屋の黒ウーロン茶マガジン」という名前で、今日食べたものから複雑な哲学的論考まで様々な記事を書かれています。
特に面白かったのが、5/2投稿の「普通と異常、ニッチとマス」です。品田さんが、元Microsoftの中島聡さんのnoteを読んだ感想という内容なのですが、その中で自己啓発に苦しむ人について面白い見解が書かれています。
「夢中になれる人たち」は、どうしたってSPECIALな存在なのだ。にもかかわらず、世の中を動かすのはたいていそのような「異常性」を持つ人々である。(中略)普通の人たちは、夢中にならない。文章を書かない。作らないし、語らない。でも、それは健康の証なのだ。なのに、蔓延するのは異常な人々の言明ばかりだから、そのギャップに苦しむ人が生まれてしまう。雄弁な病人の話術に誘惑されて、健常者が不安を覚える必要はない
引用 : 品田遊 「普通と異常、ニッチとマス」2019年5月2日の日記
※ご本人から引用の許可を頂いています
自己啓発本は、総じて「立派な人」が書くものです。その人達は多くの努力や挫折の末、成功したに違いありません。ただ、世の中でそういう人は特別すぎるので、ある意味「異常な人」とも言えます。
そして、出版されて世に広まるのはその「異常」な人達の考え方、やり方です。あまりの高潔さと素晴らしさは、まるで聖書の文言のようです。しかし、その内容は「普通」の人達をギャップで苦しめる可能性があります。
だからこそ、自己啓発本をバカにする人が現れるんだと思います (私もその一人)。内容があまりに素晴らしすぎるばかりに、実行しない自分自身への負い目、努力しないことへの罪悪感を正当化したくなってしまいます。そのためにこの聖書を「読むに値しない」と自分に嘘をつくわけです。
しかも、にわかに触発された人たち (大学生など) がチャレンジし、失敗するのを観て「ほら、やっぱり。」とほくそ笑む。これも一種の正当化です。でも、頑張ってる人を意識高い系とバカにするのは普通に失礼ですね。
とはいえ、この正当化も人間として自然なものだと思います。人間は自分のペースを守りたい生き物ですから、自分のやり方考え方でやっていきたい。なのに、凄く立派な人が「こうすると良い」という素晴らしいお言葉を投げかけてくる。こんな状況、正直勘弁してほしいです。
その一方で、自己啓発本に触発され、事業に成功した人がまだ第二の立派な人になり、彼らのような雄弁な人たちがまた自己啓発を発信する。それをメディアが拡散して、どんどん身近になっていく。意識の高い人を持て囃し、これがまるで当たり前のことのように認識されてゆく。そんな中、私のような意識の低い人間は、自分とのギャップに体が苦しくなっていきます…
これじゃまるで伝染する病だ。