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ぼややんと思った

寝る前にカツカレーが食べたくなるような夜。
妙に背中が痒いし、手はガサガサで、おっさん感が極まる。
こういう時って、大抵言ってるだけで実際に食べようとすると、胃が重くなるのが目に見えてる。
「食べたくなる」と「本当に食べる」は、同じようで全然違う。

言ってみただけで満足することの多さに、自分の小さな枠組みを感じるけれど、これが案外楽でもある。
なんでもかんでも叶えば嬉しいわけじゃないって、しみじみ思う。

寒い夜、子供たちの布団をかけ直しにいく。
寝相が悪いから布団なんて蹴飛ばしてるのが当たり前。
そのくせ、自分の布団はうまくかけられなくて、変な体勢のまま動きづらい自分にイラつく。
歳を取ると、体の硬さが色々な場面で邪魔になる。
かつての柔軟さが恋しい。

体温も昔ほど保てない気がする。
若い頃、少々の寒さなんてなんてことなかったのに、今は肩に冷えがくると次の日に響く。
お風呂の温度も気づけば42度が標準になっていて、たまに思い切って43度にすると「これだ」と感じる自分がいる。
背中をガシガシと洗いながら、鏡に映った自分の背中を見る。
汚れが落ちているというより、むしろ拗らせた感じが増しているようで、つい「クソだな」と呟いてしまう。

肌のケアの重要性を今さら感じる。
男も女も関係なく、ちゃんとやるべきだと分かっているけれど、面倒くささが勝る。
情報は手軽に手に入るのに、何かを始めるには腰が重い。
化粧水やら乳液やら、色々揃えた方が良いと聞いても、どうも「続ける」というハードルが高い。

それでも、昔に比べれば便利になった。
SNSや動画でレビューを見れば、大抵の疑問は解決するし、欲しいと思えばほとんどの商品が手に入る時代だ。
買えないものなんてほとんどない。

そういえば、YouTuberのヒカルさんが紹介していた馬刺しの話を思い出す。
ユッケにしても食べられる新鮮な馬刺し。
あれは確かに気になる。
ユッケなんて、あの特別感がたまらない。
口に広がる香りと、独特の食感。
その分、自分の胃腸の弱さを忘れて食べ過ぎてしまうと、あとで後悔することが多いけれど。

ユッケ文化ってすごいよな。
食文化としても、嗜好品としても、日本の多様性を感じる。
だけど、いつも思うのは、「今これを食べている自分」だけが特別に感じる瞬間。
それが明日になると、急にどうでもよくなるのが面白い。

明日はどんなことが特別に思えるだろうか。
カツカレーも、馬刺しも、今夜のこの気持ちさえ、明日になれば薄れているだろう。
食べたいと思った熱量や、自分に対する苛立ちも、きっと冷めてしまう。
結局、そうやって繰り返す毎日の中で、何を覚えていられるのだろう。

風呂上がりの乾燥した肌に、手持ちの保湿クリームを塗りながら思う。
「これも明日には忘れるな」と。
いや、忘れたほうが都合がいいことのほうが多いのかもしれない。

ふと思い立って、寝る前に子供たちの寝顔を見に行く。
布団を蹴飛ばしたまま、丸くなっている小さな背中。
それをそっと覆うように布団をかける自分の手の動きが、少しだけ昔よりも慎重になっている気がする。

子供たちは寝ながら夢の中で何を感じているのだろう。
自分も夢を見るだろうか。
いや、きっと今夜も何かを忘れるだけかもしれない。

明日には、何も覚えていない空っぽの頭をくしゃくしゃにしながら、また新しい日が始まる。
そんな風に続いていく日常が、案外悪くない気もする

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