ありふれたやりとりと伝統芸
何気なく眺めたニュースで
思うところが多すぎて
つい、ぼやいてしまう。
6時間の生放送。
果てしない根気比べ。
そんな時間をかけたところで、
結局、何かが変わるのかどうかも
怪しいもんだ。
伝統と正統、
それが正しいのだと信じたいのか、
受け入れられないものを
潰しにかかる姿勢は、
古き良き時代の名残か。
だが足音は聞こえる。
新しい波が、
捲るように押し寄せている。
気づける者もいれば、
聞こえないふりをする者もいる。
流れ作業で人を扱うのではなく、
毎瞬変わる体調を見ながら、
その時々で適切に手を差し伸べる。
それが本当の丁寧さではないのか。
けれど、錆びた物差しは、
もう正確に測れない。
何を伝えたくて、
何を守ろうとしているのか、
その歪んだ基準は、
時代の流れに追いつけず、
ただ浮いている。
そして、
誰もが投げるブーメランは、
結局、自分に返ってくる。
刺さって痛いはずなのに、
その痛みを知らないふりをするのは、
見ているこっちが
やれやれと言いたくなるほどだ。
なんの話かって?
良いんだよ
俺が思ったままに書いた
〇〇の落書きなのだし
ほっとけば滲み出して
流れて今度はカビついて腐る