
敵意帰属バイアスの他人とナイーブリアリズムの自分で公正世界仮説による認知の歪み
頭の悪い母親と話をすると脱線したり要領を得なかったり質問を質問で返されたり指摘を批判と取られたり意見を罵詈雑言と勘違いする 結果として話は纏まらず何も理解されずただ不機嫌になった母親に誹謗中傷を浴びせられて人格から何から否定されて悲しくなるだけ この世にこれ程醜い人はいないだろうな
そんな事を言うと「親に感謝しなよ」とか「愛情が無い」とか「お前がおかしい」なんて事を言う人がいるけど 他人の事情なんてわからないのに決め付けて話す君達は愚かだと思います 無責任に他人に意見する事を恥だと感じない ましてや他人に意見してるから俺はこいつより優秀だと思い上がっている 尊大
こんな事を考えていると自分も尊大なのでは無いかと怖くなる 自分もこいつらと同じく愚かなのだと わからない 自分よりも優秀だと思える人と出会った事が無い 尊敬できる人もいるし自分より秀でた部分がある人も知っている だが自分の意見の正しさを証明する度にそういった人達の間違いも証明される
黙る事で品格と知性を見せ付けている風に侮蔑した目を向ける人もいる 彼等はただ反論を持ち合わせていないようだ 勿論それで私が正しいと言う事では無い ただ黙る事は愛では無いだろう 私に自分の意見を言っても理解できないだろう 無駄だろうと言い訳をして諦めた振りをして私の意見を理解できない
私は君達の意見を理解したうえで指摘しているのにその指摘を理解できずに同じ意見を何度も言葉を変えて説明してくる なぜなら自分の意見は正しく 否定してくるこいつは自分の意見を理解できていないんだと誤認しているから なので私は正しくあなたの意見を理解している説明をする すると相手は満足する
そして私の意見を無視する なぜなら自分の正しい意見を理解できているなら満足だからだ その正しいと思い込んでいる意見は間違っているという私の意見を理解できないのだ そんな彼等は同じ間違いを繰り返し他責し何も上手く行かずしょうもない人生を歩むのか 知らぬが仏か 馬鹿なまま死ねば幸せか
私は他人に期待し過ぎなのだろう 誰しもが正しく成長できると思い込んでいる 言えば理解できる 正しくなれる そんな事は無いのに それでも期待しない人生は無味だ 正しさを追求しないなんてつまらない 愛の無い事なんていらない 私の主義を他人に押し付けている 私は私でしょうもないのだな
しかしなぜ間違っている事を指摘されているのに未だに同じ間違いを繰り返しているのか 毎回上手くいっていないのに 何度も教えているのに 馬鹿なのか そんな訳無い 人間なんだから最低限このくらいできるはずだ そんな風に考えていたがどうやらできないらしい 期待し過ぎという問題ではないようだ
他人に期待し過ぎない という言葉は不十分だ 他人は期待できる程優秀ではなく、自分と同じ知識や経験をしていないので今できていない事はできない それを正しく理解して他人と接する事は大切な事だ これは馬鹿にするという意味では無い 自分もまた、他人にとってそういう存在なのだ
私は優秀なのではなく他人と違う知識、経験を持っているだけであり 他人は私と同じ知識、経験を持ち合わせていないので私の意見を理解できないのは当然である 使える言語が違うようなものだ 私が正しい訳では無い 他人が間違っている訳では無い ただ違うだけ 自分の信じる道を行け 疑いながら
結局、そういう人達は尊大な愚か者だと結論づければ楽だが それをしてしまったら自分も同じ愚か者になってしまう可能性を消せないから そうじゃない証明を一生しているのだろう そんなくだらない人間とは縁を切ればいいものを 私は私が愚かだと認めたくない尊大な愚か者なのだろう しょうもない
自分がしょうもないという事にする事で考える事をやめて楽になっている 考え続ける 答えの出ない事を 迷い続ける 答えなんて無い事を くだらないと言われても 意味がないと蔑まれても 無駄だと非難されても それをしない人達にそれが間違っていると分かるわけがない 正しいとわかる時があるのか