ルイジアナのプランテーションにいるマサチューセッツの奴隷制度廃止論者|第10章 ローウェル|アメリカでの40年間(1821-1861)
ルイジアナのプランテーションにいるマサチューセッツの奴隷制度廃止論者
彼女は既に結婚していましたが、未亡人になっていました。長男は大学に進学したばかりでした。周囲の州はみな武装蜂起しており、老若男女に共通する感情はただ一つ、侵略を撃退し、憎らしい北部から独立するという決意だと彼女は断言しました。この感情が人々の間でどの程度一致しているのか、またどの程度強いのか、私にはまったく分からない、と彼女は言いました。彼女が書いているように、一隻の蒸気船がレッド川を下ってミシシッピ川に向かい、戦場に向かう連隊を乗せていました。その連隊は南部の連隊の一つで、外国人や傭兵、追放者ではなく、ごく普通の父親、息子、兄弟が結束して国と故郷のために戦い、命を落とした連隊でした。蒸気船には連隊の母、妻、姉妹など25人の女性が乗っており、7台のミシンを駆使して航海中に制服を仕立てました。愛する人たちが侵略者と一刻も早く対峙できるようにするためです。 「このような人々を征服することはできるのでしょうか」と彼女は尋ねました。
彼女がもしまだ生きているなら、自分が嫁いだ州の首都ニューオーリンズが焼かれ略奪されるのを見てきたはずです。ニューオーリンズが、かつて住んでいたこの町ローウェル出身の弁護士バトラーの支配下に置かれるのを見てきたはずです。そして彼女は、かつてマサチューセッツ州の靴職人だったバンクスによってルイジアナ州南部が荒廃させられるのを見てきたはずです。それまでにも、彼女自身の農園は略奪され、召使たちが散り散りになり、住居が焼け落ちていたかもしれません。彼女は今、自分の兄弟の一人が北部のパルチザンであり、彼女の最愛の友人を殺す武器を供給しているのかもしれないと知り、ひどく苦しんでいます。これがこの戦争の実態です。こうした例は何千とあるのです。北部の男性、そして南部の夫と結婚したたくさんの北部の女性は、南部全域に住んでいるのです。彼らが移住先の土地に対して忠実でなかったという例を私は聞いたことがありません。
上で述べたケースにはもう一つの特徴があります。私の文通相手であるこの女性は、北部の故郷で私と友人だった頃、熱心な奴隷制度廃止論者でした。彼女は、そして今もそうですが、高潔で、心が清く、熱心な信仰心を持っています。それにもかかわらず、彼女は多くの奴隷の女主人となり、奴隷の所有者となりました。かつて自分と同じ人間をを奴隷として拘束することに大いに反発しました。同じようにいま彼女の良心は、奴隷を放り出して無理やり自活させるという残酷なやり方に激しく反発するようになりました。これは、最も徹底した奴隷制度廃止論者でさえ、実際に奴隷制度に触れ、奴隷にされた人種を目の当たりにすると、意見が変わることを証明する何千もの事例のうちの一つです。