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『探究』をめぐって 1.『探求』の到達点とは何処だったのか?

與那覇潤は『平成史』において、『探求』の柄谷行人は「教える」立場に立とうとした、と書いています。私はこれを、「教える-学ぶ」立場に立とうとした、という意味に捉えていましたが、『探求』を読み返して気づきました。間違っていたのです。というのも、冒頭近くで柄谷は次のように書いているからです。

《誤解を避けるためにいえば、第一に、それはピアジェやチョムスキーのように、子供が言語を”習得”する側からみるのとはまったくちがう。後者においては、「教える-学ぶ」という関係は存在しないし、コミュニケーションの問題もない。また、それゆえに、「教える-学ぶ」レベルがもたらす重大な問題を捨象することによって、構造論的生成のモデルを抽象的に組立てうるのである。(P8)》

ここで「後者」が何をさしているかが重要なのですが、ここで柄谷が指しているのは「学ぶ」立場のことです。つまり、子供や外国人に「教える」立場に立つことを考えるのが本書のテーマであって、それによって「話す-聞く」という思想的なパラダイムを「教える-学ぶ」というかたちに変更したいのだけれども、それは「学ぶ」立場(後者)に立つことではない、と言っているのです。「学ぶ」立場に立ってしまっては、本著でテーマとする「教える-学ぶ」という関係性そのものが消失してしまうのです。

「学ぶ」立場は、まるで「教える-学ぶ」という関係性を示しているように見えて、実はそうではない。子供が言語を習得するように、「学ぶ」立場に立つことによって、「教える」立場を構造論的生成モデルに回収してしまうことが出来るからです。ここで、ピアジェやチョムスキーの名前を挙げていることから分かるように、柄谷は構造論的生成モデルという言葉で、ポスト構造主義と呼ばれる思想を考えているのは明らかです。ポスト構造主義ないしポストモダンと呼ばれる思想は、「教える」立場を消し去り、結果的に「教える-学ぶ」も抹消してしまうから危険だと言っているのです。

柄谷行人は、ここで、ポストモダンないしポスト構造主義と呼ばれる「現代思想」から右派が生じてくることを明示し、自分はそれに対峙するということを宣言していたのだと思います。

ここで、「教える」立場について考えていて思い出したのは、スピノザ『神学・政治論』です。スピノザは、ここで既成のユダヤ教をこき下ろし、返す刀で既成のキリスト教を否定します。しかし、この本でスピノザはイエスとソクラテスだけは高く評価するのです。

イエスをスピノザが賞賛するのは、イエスがいわば「教える」立場に立ったからです。スピノザはヨセフ、モーゼなど予言者をこき下ろします。そんなものは迷信だ、と。だから、こうした予言者によって作られたユダヤ教はまやかし以外の何物でもないのです。彼ら予言者が迷信を流布する偽物でしかなかったのは、彼らが予言者だから、つまりまさに神に「学ぶ」立場に立っていたからです。彼らは予言者であって神ではない、にもかかわらず、神から「学び」予言したのです。これはスピノザにしてみればまやかし以外の何物でもなかった。

これに対してイエスは預言者ではなかった。彼は民衆の前に立ち、「神の子は来た。天国は来た」と言ったのです。千年王国の到来を予言などしなかった。イエスは、自分は民衆とは異質の「神」であること、つまり「教える」立場にあることをまず初めに告げたのです。

その後のキリスト教の歴史は、イエスの教えの様々な脱線であり、誤解であり、解釈の歴史です。構造論的生成といっても良い。「学ぶ」立場によって歴史=物語は作られるのです。そして、「教える-学ぶ」という関係性は消失し、やがてそれは、「話す-聞く」パラダイムへと回収される。

『エチカ』における「第二の認識」とは、現世のすべて、つまり自然を実体(神)の無限の様態と見なすものであり、それは有限な存在としての人間が自然から神を「学ぶ」立場と言えるかも知れません。生態学的な自然の法則に貫かれたあらゆる物の構造論的生成こそ、「学ぶ」立場に立ったとき学習する内容だからです。

でも、スピノザはそれに留まらなかった。第二の認識は、神あるいは自然の法則を知ることで、物の存在の特異性を普遍性-単独性という関係性において捉え、それを必然として認識するものだからです。そして、この特異的な個物としての存在が、人間を第三の認識に導く契機となります。

スピノザは、第三の認識、つまり、神の観念に至りうると考えていた。神の立場こそ、「教える」立場です。無限の様態として現れる自然における物について、有限の人間に対して「教える」立場に立つ神の在り方こそ「第三の認識」だった。

言語ゲーム(システム)を共有しない外国人や子供に対して「教える」立場に立つことによってはじめて、そのシステム全体が問われるように、有限の人間に「教える」立場に立ってはじめて、いわば神は自然の法則に貫かれた無限の様態のすべてを問うことになる。

神の観念には、自然の法則に貫かれた、神あるいは自然の無限の様態の全体が含まれているのです。神の立場とはそうした立場にほかなりません。

『エチカ』の第一部は「実体(神)」についてです。『エチカ』は幾何学的手法によって記述されているため、最も抽象度の高い神という概念から記述しはじめたと学校では習いますが、これは次のことを意味しています。

恐らくスピノザは『エチカ』を第三の認識に立つことで記述しはじめようとしたのだと思います。つまり、第一の認識や第二の認識についてスピノザが書くためには、「教える」立場に立つ必要がある、と考えたのです。そのためには、神が自分自身(神)について、つまり神の観念について書く第一部が必要だったのだと思います。

それは第一の認識や第二の認識について説明するには、システム全体から「教える」必要があるという理由のためです。もしも、神あるいは自然としてのシステム全体を貫く法則についての説明を省いたならば、まるで構造的生成論的に自然が自動生成するかのようなことになってしまう。それは或る種の経験論になるでしょう。そして、それは結果的に同質的な「話す-聞く」の関係へと解消してしまう。

第一部は、神あるいは自然という実体を、他のあらゆる物を原因とすることのない自己原因として、つまり神の立場を「教える」立場へと基礎付けるために、是非とも必要だったのです。

これに対して、「話す-聞く」という関係は、「教える-学ぶ」という関係が「学ぶ」側から見られること、いわば等価形態(教える)と相対的価値形態(学ぶ)とが転倒してしまうことに端を発します。そしてこうした転倒が「神秘主義」を生み出す、とマルクスは言っていると柄谷は指摘します。

転倒こそが、この二つの立場の根本的な違いを無化し、「話す-聞く」という独我論的な神秘主義の端緒なのです。

《このような錯誤は、語られ書かれることを、我々自身が聞き読んでしまうということに存する。ここでは、他者とはわれわれ自身であり、したがって<他者>ではない。そして、語られ書かれることが、他者にとってはたして「意味している」かどうかは、すこしも疑われない。だが、他者が、あなたは、語り書く以前あるいは過程で、内的にべつのことを意味していたはずだと主張するとき、われわれにはそうではないと証明するすべはない。

このことは、しかし、テクストを「読む」者の、優位性あるいは創造性を意味するわけではない。読む者は、自らの読解を示したければ「書く」ほかない。そうでなければ、彼の読解は「私的言語」にすぎないからだ。そして、彼が「書く」とき、先に述べた過程をたどるほかないのである。私はべつにこのことについてのべるだろう。ここでは、ただ、テクストそのものに「意味生産性」があるかのようにいう”神秘主義”をしりぞけておくにとどめる。(P35)》

そして、第二章の最後には次のように書いています。

《こうして「言語ゲーム」という概念は、一つの懐疑によってつらぬかれている。それは、どこまでも、内的な同一的な意味(規則)の想定を疑い続けるのだ。「意味している」ことが成立するか否かにすべてがかかっている。が、それを根拠づけるものは何ものもない。たとえば、「生活様式」が共通しているがゆえに、言葉が「意味している」ことが成立するのではなく、その逆である。この結果と原因をとりちがえてはならない。(P45)》

ここで柄谷は、言語ゲームという法則性を、スピノザのいう自然の法則の必然性と同様に扱っていることは明らかです。言語ゲームは、言葉の意味が通じるのは何故か、どんな規則性がそこにあるのかと問うたとき、出現するシステム全体としてあります。

しかし、そのシステム全体を上手く説明することは出来ない。かといって、それをない、と断言することも出来ない。というのも、言葉の意味が通じるには何らかの原因があるからであり、それが言語ゲームというシステムの存在だからです。

自然におけるすべてが特異的存在としてあるのには、やはり原因がある。しかし、特異性の原因とは一般的なものではあり得ない。自然におけるあらゆる個物が自然の諸力が行き交う場として存在するその法則とは、神あるいは自然という原因ゆえの必然性であり、この必然性においてこそ自然におけるあらゆる物があるからです。

特異性が問われるとき、そうした神あるいは自然の法則を回答として用意しなければならない。だが、そんな原因など存在しない、意味が通じるのは偶然だというかもしれない。しかし、特異的存在について問うたとき、「教える」立場に立ったなら、原因は、神あるいは自然の法則の必然性が説明されなければならないのだ。

このことは、『探究』において柄谷が次のように説明することとアナロジカルに一致しています。

それは、日本人の「生活様式」があるから日本語の意味が通じるのではない。日本語の意味が通じるから、そこに日本人の「生活様式」がある、ということです。意味が通じる原因として、何らかのシステムが、言語ゲームがそこにあると想定されざるを得ないからです。そして、このことの認識が、ポストモダン右派と決定的に対峙することを可能にする、とおそらく柄谷行人は考えていたのです。

このことは、柄谷行人にとって、『探求』の到達点を「教える」立場に立つこと、そして、その立場に立ったときのみ開かれる「教える-学ぶ」関係性の探究に見据えたことを示唆していました。そしてこのことを與那覇潤は明確に告げていたのです。

(筆・田辺龍二郎)

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