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ストリーミング時代における音楽との向き合い方
引越しをきっかけにレコードプレーヤーを購入した。以降、週末等時間あるごとに各地のレコード屋を巡り、レコードを「ディグっている」。自室のインテリアとするべく高校時代に細々と集めていたものを含めると、所有枚数はそろそろ100枚を超えるだろう。ジャンルは主に海外のプログレとテクノが中心だ。
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一方、私はストリーミング・サービスのSpotifyにも入っている。率直に言って、レコードに比べるとかなり便利だ。まず、レコードのように一定時間経過すると再生が止まってしまうことがない。加えて、月額1,000円ほどでこの世界に存在するほとんどの主要な楽曲にアクセスできる。レコードのように、入手困難な盤や超高額盤があるわけでもない(気づいたら、My Bloody ValentineもKing CrimsonもSpotifyで聴けるようになっている)。何よりスマホ一台あればどこででも再生できる。サービス登場からまだ四半世紀と経っていないはずだが、こんなにも人口に膾炙するのも納得である。
しかし、それでも私は音楽をレコードで聴きたい。このように思っている人は私だけではないはずだ。アメリカでも日本でもレコード市場は伸長している。もちろん、インテリアとしてオシャレという側面もあるだろうが、それだけではないはずだ。今日はその理由を考えてみたい。
レコードは音楽聞く手段として劣っている???
現在、音楽を能動的(かつ合法的に聴こうとする場合、主に以下の5つの手段があると考えられる(カセット等マイナーな手段は除く、ラジオ・クラブ等は聴く音楽を楽曲レベルで指定することが困難なため除外)。
A. ライブ/コンサート
アーティストの生演奏を耳のみならず、視覚でも楽しむことができる。また、周りに人がいることによる没入感・一体感も魅力的だ。一方、体験機会が必然的は必然的に限定的にならざるを得ない。
B. CD
レコードに近いが、おそらくこの形態で曲を出すアーティスト・ジャンルはより多い。また、アイドル等では限定グッズ等が付くのも魅力的だろう。1枚あたりの値段も平均的にはレコードに比べると安価だろう。
C. レコード
特徴は前述した通りのため省略。
D. ストリーミングのサブスク(Spotifyなど)
こちらも省略。
E. 無料動画サイトでの視聴(Youtubeなど)
こちら楽曲のアクセス性という観点ではDのサブスクに近いものの、視聴に伴う費用負担の有無という意味で大きく異なる。加えて、多くのアーティストにおいてアルバム単位で曲を聴くことができない。一方、ライブ映像など多様なverがあるのが魅力だ。
(余談だが、一時期住んでいたインドの飲食店ではしばしばこの形式でYoutubeから音楽を流していた。雰囲気の良い店でも突然Youtubeの広告が挟まれるのは面白かった)
以上、5つの聴取手段を1. 聴く上での費用負担(一曲聴くためにどの程度のお金が必要か)、2. アーティストへの金銭的貢献(聴くことでアーティストがどの程度儲かるか)、3. 楽曲へのアクセス性(聴きたい曲をどのくらい容易に聴けるか)、4.聴取に必要な手間(楽曲に再生するために必要な設備・時間など)、5. 保管の手間(有形物の場合のみ)の5つの観点で3段階評価したものが以下だ(音質は聴取手段ではなく、聴取環境に依存するため除外)。
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個別の評価に関しては異論もあろうが詳細には立ち入らない。疑義を呈されそうなポイントだけ説明すると、
2. アーティストへの貢献においてCDを中、レコードを低としたのは、現在流通するレコードの多くが中古品であり、購入時にアーティストに収益は入らないと想定されるからだ。
4. 聴取に必要な手間において、ライブ/コンサートは会場への移動時間を要するため、高とした。聴くための聴取者の設備投資が求められないのはCD、レコードと異なる点である。
以上、評価を見ると、レコードのメリットは改めてほとんど無いように思われる。購入費用は高く、そのくせに好きなアーティストに収益的に貢献できるわけではない。レコードという形態で入手可能な楽曲数は限定的であり、専用プレーヤーを自宅に用意しなければならないなど聴取に必要な手間も大きい。また、大きさゆえに嵩張るのみならず、カビが生えないように、傷つかないように丁寧に扱わなくてはならない。
それでも、なおレコードを聴く理由
それでも、いや、だからこそ私はレコードが好きだ。数ある欠点を超えて私がレコードにハマっている理由は4つあると思う。
1 アイデンティティとの接続
「音楽が好きだ」
今の時代にこの発言を証明するのは難しい。誰でもストリーミングを通じてあらゆる楽曲にアクセスできる時代においては。特に、年に何本もライブに行けるわけではない、好きなアーティストの大部分が解散している私のような人間にとっては。しかし、それでも私は「音楽が好きだ」と言いたい。その言明を自らのアイデンティティと接続させたい。その実体的証拠としてレコードはこの上なく便利だ。ナルシシズム的な投影と言われればそれまでかもしれない。それでも、私は休日にレコードを探しに行く時間、丁寧にレコードをスリーブから取り出し、針を落とす時間、その全てを、「音楽が好きな自分」を構築するものとして愛している。
2 偶発的邂逅の可能性
ストリーミングではあらゆる音楽が手に入る。しかし、あらゆるものが手に入るとは何も手に入らないと同義なのではないか。ストリーミングを通じて新たにハマるジャンル・アーティストを開拓するのは難しい。膨大な楽曲のユニバースの中で実際に自分が聴取を選択する曲はほんの一部に限定され、サービスのアルゴリズムによって、自分の再生履歴を通じたおすすめ局がレコメンドされるからだ。もちろん、そこからお気に入りの曲を見つけることもあるだろう。しかし、そこには自分の嗜好の枠内での出会いしかないのではないか。
一方、レコードにおいては店頭で全く知らない音楽と出会うことが可能だ。店のスピーカーから流れる知らない曲、思わず惹かれる知らないアーティストのジャケット(いわゆるジャケ買いというやつだ)…。レコードを通じて、自分の限定的な嗜好の枠を超えるアーティストや楽曲との偶発的で、奇跡的な出会いが可能なのだ。
3 不自由さにおける希望
ストリーミングでは、思い通りに聴いている曲を停止したり、別の曲に変えることが可能だ。自分の思い通りのプレイリストを作成することもできる。むろんそれらは素晴らしいことだし、私もそのような使い方をするのだが、果たして音楽に対する向き合い方はそれだけなのだろうか。例えば、『ラバーソウル』の途中で、aespaの「Supernova」に切り替える時、ふと思う。『ラバーソウル』を聴くとは、『ラバーソウル』を聴きとおすことではないのか。偉大な音楽作品を文字通り掌の上で、自由にいじくって良いものなのか。
翻って、再三述べてきたようにレコードは不自由なメディアだ。一度アルバムの再生を始めたら、少なくともA面/B面は聞きとおさなくてはならない。シャッフル再生もできない。しかし、そのような不自由さの経験こそが、アーティストの圧倒的な才能、魂を注ぎ込んだ作品に対する正しい向き合い方なのではないか。始原の音楽としての宗教音楽、ないしは自然の音に圧倒されるときのように、操作可能性の排された音楽の前で、なすすべもなく立ちすくむ、それも音楽に対する一つの姿勢なのではないか。
4 所有の夢
レコードは所有が可能だ。そして、この所有するという経験は単にそこから音を再生できる音楽的媒体を所有することに留まらない。レコード、特に中古レコードを所有するとは、その歴史を所有することなのだ。
コレクションの一つにAllman Brothers Bandによる『At Filmore East』がある。もう50年以上のオリジナルのアルバムで、安い値段で買ったため、スリーブはよくわからないシミだらけ、盤質も細かい傷が目立ちお世辞にも綺麗とは言えない。それでも、このアルバムを所有するとは、一つの歴史に参画することなのだ。1971年の発売当時の最先端の音楽に触れるという最初の所有者の興奮、そこから日本の中古レコード屋に流れ着くまで、あるいは幾人かの所有者を経て、このレコードは今私の手元にある。多くのヒトが多くの場所でレコードを再生し、そこにはあるいは様々なドラマがあったかもしれない。レコードを所有するとは、そのような歴史に参加することであり、他者に対するひそかな歴史的連帯の可能性なのだ。これもまた、レコードにのみ可能な経験だ。
終わりに
長々と書いてしまったが、改めてレコードの素晴らしさに気づくことができた。私はこれからもレコードの収集を続けると思う。この文章を読んだあなたもあるいはレコードに興味を持ってくれたらうれしい。次会うときはどこかのレコード屋で。