高校生編続き

皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。
前回の記事に続き、高校生の時の自分の経験を書いてみました。

よかったら読んでいって下さい。

いきなりですが、3年生になります。

入り雑過ぎだろ

3年生ではいろいろあってスピードとパワーがついて1500では勝負のできない体になっていました。完全に400型の800になっていました。
そのおかげで、マイルメンバーに入ることができました。マイルとは1600メートルを4人でつなぐリレーですね。1人400を走る非常にきつい種目です。

ぼくが2年の時のマイルメンバーがすごく強くて、都選抜大会というのがあってその大会に出るためには標準記録を破らないと出られないのですが、それを悠々切っていたんですね。

しかし、自分たちの代はそれが危うかったんです。メンバーが揃っていなくて、もしかしたらタイムきれないんじゃないかと思っていました。
でも、絶対このタイムを切りたい。チームのみんなで切りたいと思う目標をチームメンバーと決めて練習を頑張りました。

自分の800での勝負ももちろんしました。しかし、個人種目では大惨敗。

都大会に出場することもできませんでした。なんなら予選も通ることもできずに敗退。個人種目での都大会出場はできませんでした。

おそらく、マイルのほうに意識が行っていたのか。わからないですが、悔しかった。800という競技で結果を残せず、悔しさだけが残りました。
しかし、まだマイルが残っている。マイルにこの悔しさをぶつけるしかない。

これで都大会に出ようと。そしてマイルメンバーとして都大会に行くことはできました。すごく嬉しかったです。

しかし、都選抜の標準記録はずっと切れませんでした。

絶対この記録は切りたい。なぜこんなにこだわったのか。それは、標準記録を切っていると来年の世代に都選抜大会に出場することができるんですよね。
つまり、自分たちが都選抜の記録を切っていないのに、都選抜大会に出られるのは先輩たちが速かったから、選抜大会に出られるわけです。

自分らの代が最後の都選抜大会で記録を切れなかったら、来年の代につなぐことが出来なくなるんです。自分らの代で止めたくなかったんですよね。

だから、高校最後の大会、都選抜大会では必ず記録を切ろうと。メンバーで固く誓いました。
そのためだけに調整して、練習しました。

高校最後の大会

そしてついにその最後の大会が訪れるわけです。
今までにない緊張感。これが仲間と走る最後の大会だと思うと、すごく寂しくなる。だから、絶対悔いなく終わりたい。そう思っていました。

僕はアンカーだったので、自分の出番が来るまで待機してました。
レースが始まり、緊張感マックスです。
みんながみんな、すごくいい走りをしていました。

本当に全てを出し切って、思いをバトンという形でつないでいたんです。
自分の役割は、すべての思いを乗せたバトンをゴールまで送り届けること。そして、都選抜の記録を切って帰ってくること。それだけを考えました。

自分の出番が回ってきた。3走を走っていた仲間が完全に力を出し切った様子でバトンをつないでくれました。

1走2走3走の仲間の全ての思いが詰まったバトンを受け取り、高校人生で最高の走りをしてやるんだという勢いで、走り出しました。

前とのチームの差がだいぶできている。1mでも5mでも少しでもいいから差を縮めよう。そう思いながら走りました。

最後のコーナーを曲がり、ラスト100m。急に体が重くなる。まずい、これだとタイムを切れないかも。

そう思って使えるものは全て使いました。腕を振り、顔も振り、全身使えるところを全て使って前に進みました。

ゴールラインが見える。もうゴールだ。でもこのまま走り抜けても間に合わないかもしれない。タイムを切れないかもしれない。そう思ったら行動は一つ。

ダイビングヘッドでゴール。

初の写真の登場ですね

咄嗟にダイビングヘッドをかましてました。

3人の想いを繋いだバトンはゴールラインを超えてから手を離れました。ちゃんとゴールにバトンを運ぶことができた。

そして、自分の全力を出し切れた。もう悔いはない。みんながみんな、全てを出し切ったんだ。タイムはどうだろう。標準タイムは切れただろうか。それだけが気になって仕方がなかった。

タイムが速報で読まれていく。そしてタイムがアナウンスされた瞬間、自分はタイムを切っているように聞こえたんです。だから仲間に向かってガッツポーズをしたんですよ。こんな感じで

でも誰1人喜んでないんです。

多分アナウンス聞こえてなかったんだと思います。
自分は1人で喜んでてなんか恥ずかしかったけど、電光掲示板に目をやると、確かにタイムを切っていたんです。

もう歓喜ですよね。僕は仲間のもとに走りみんなで肩を組んで喜びを分かち合うわけですよ。
この瞬間は2度と忘れないですね。一生の思い出です。

今まで僕は、目標を達成することができずにいました。でも仲間と一緒にこうやって目標を達成することができたのが、本当に嬉しくてたまりませんでした。
初めて、努力が報われたのかなと思う瞬間ですね。それくらい僕にとって大きな出来事でした。

陸上部の引退

そして晴れ晴れした思いで陸上部を引退します。
とても思い出深い高校陸上生活でした。

このあと駅伝とかもあって、一応走りましたが、もう気持ちがふわふわしていて競技に集中できてませんでした。駅伝をもう一度頑張ろうというふうには思えなかったんですよね。燃え尽きちゃいました。

進路を考える編

ここで自分は進路を決めなければならなくなります。
迷いました。自分は何をして生きていこうと。

謎の公務員志望

僕は高校に入りたての時、公務員になろうと思ってました。結構まじです。高校卒業してすぐ働いてお金を稼げるようになって自立したいなと思ってだからですね。

まぁこれは建前ですね。本音を言うと、楽して安定して稼げるかなと思って公務員になりたいと思ってました。

だから、高校一年生の頃から公務員試験対策みたいなのをしてたんですよね。でも、いざ進路を決めるとなった時に、本当に公務員でいいのかなと思うようになってきたわけです。

前回の記事でお話ししたように、人を支えられるような大人になりたいと。そう思ってはいたものの、公務員でそれはできるかなと。

おそらくできるんだと思います。やりようによっては公務員の方で人を支えるようなことをしている方は絶対にいらっしゃいますよね。顧問の先生がその一人なわけですが、、

でもその当時の僕には想像することができなかったんです。公務員はもう完全に楽にお金を稼げるモードですから。そこしか頭にないわけです。じゃあ公務員は違うのかなーと思い始めていました。

先生のある一言

そんなある時に、僕は部活中に仲間にマッサージをしてたんですよね。僕自身怪我をしてきて、体のケアには注意してました。

それでいろいろマッサージを受けてきて、マッサージの気持ちよさとか、マッサージされ終わった後のスッキリ感がすごい好きで、よく陸部の仲間にもそれを知って欲しいと思ってマッサージをみんなにやってたんです。

その様子を見ていた顧問の先生がふと僕に言いました。

でぐ、トレーナーになってみれば?」と。

僕はハッとします。なるほど。これってすごいいい仕事なんじゃないのかと。僕もトレーナーさんや治療院の先生に支えられてきました。

じゃあ、自分がトレーナーになれば、選手を支えることができる。自分のように困っている選手を支えることができる。そう思ったんです。

やっぱり単純ですね僕は。そう思ったら進路を思いっきり変えます。
今まで大学なんて行かずに公務員になって働くと思っていました。

しかし、トレーナーになるにはまず医療資格が必要で、大学か専門学校にいかなければトレーナーとして活動できない。そう思ったら即行動です。

顧問の先生に相談します。いろいろ専門学校、大学があります。迷いました。そうすると先生は言いました。

日体大はどうかな、陸上部の中にトレーナーブロックがあるしトレーナーの勉強ができると思うよ」と。

僕はもうそこにいくしかないと思いました。
専門学校だと部活が無いので、そういったトレーナー活動は自分で見つけなければならないんです。

トレーナーの経験を積みながら、資格の勉強ができる学校は日体大しかないと。そう思った僕はすぐ日体大の受験を決めます。

そしてオープンキャンパスに行き、願書をもらい、AO推薦試験お対策をし始めるわけです。

いやーここまでの行動は本当早かったですね。秒で自分の考えが変わったので親はびっくりしたましたね笑

今まで公務員位なるって言ってたのにいきなり何??と言われましたからね、仕方ないです。

はい、というわけでいかがだったでしょうか?
かなり要所要所端折ってしまったので話し足りない感じがありますが、長すぎるとつまらなくなってしまうのでこのくらいにしておきます。

また別の機会に高校編は話していきたいなと思います。
今回も読んで頂きありがとうございました!
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また次回もお楽しみに。シーユー。


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