中学編の続き
皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。出藏です。
前回の記事が脱線に脱線を繰り返して、全く話が前に進みませんでした。大変申し訳ございません。
てなわけで、今回はちゃんと話を前に進めていきたいなと考えているわけですね。僕が中学で陸上を始めてから何があったのかということを、どんどん書いていけたらなと思います。
人生初の陸上のレース
陸上部に入ってから、いろんな練習を積んでいよいよシーズン初戦を迎えるわけですね。このレースのためにいろいろ準備しました。まず、良い靴を買わなければと思ってですね、陸上界では有名なSTEPですよ。STEPに足を踏み入れるわけです。陸上を誘ってくれた幼馴染みと行くわけですね。もう興奮しました。多種多様な靴があって、試し履きもいっぱいしました。その時点でもうワクワクが止まりません。
悩みに悩んだ末決めた靴は、アシックスのソーティーマジックです。陸上の長い距離をやってる人には良い靴だっていうのはもうお分かりいただけると思います。もう良い靴なんですこれが。その靴で練習の時に軽く流して走ってみたら、んまーー軽いのなんの。
今まで野球のトレーニングシューズで爆走してましたから、そのギャップに衝撃を受けました。靴だけで足が速くなれる気がしましたね。
他にもユニフォームとか準備してもらっていたのですが、残念ながらユニフォームはシーズン初戦に間に合わなくてですね、なんと上は黒いTシャツ、下は体育着という服装で出場したんですね。僕はこれを「勇者」と呼ぶんですけど、この勇者スタイルでシーズン初戦を駆け抜けるわけです。
全てが初めての経験で、アップの仕方であったり、招集の仕方であったり、レースのスタートラインに立つまでの流れ全てが初めてで正直不安でしたね。
でも、不安と同時に新しいことへ挑戦するというワクワク感もあったと思います。そんなふわふわした状態で、1500mのスタートの号砲が鳴り響くわけです。ついに人生初の陸上部としてのレースが始まりました。もうペースなんて考えてる余裕なんてありません。ひたすら周りの選手についていきました。さすが陸上選手だなと思ったのは、みんな速いんですよ。もう学校の人たちとは比べものになりません。今までは1位を独走していた自分ですが、全く歯が立たないわけです。
「うわー、みんな速いなー」と思いながら、1500mを走り切りました。その時の記録はいまだに覚えています。4分47秒でした。これが速いのか速くないのか全くわかりません。ただ、走り終わった後のなんとも言えない達成感。清々しさが半端なかったです。人生初レースはあっという間に終わってしまって、もっと走りたいと思いました。1500mは皆さんにとっては長距離かもしれないです。しかし、この時の僕にとってはとても短く感じたんですね。本当に幸せな時間でした。
あ、今はもう1500mなんてクソほど長いし2度と走りたくないですけどね。ここ大事ですよ。
成長期
こうして僕の初戦は終わりました。
初戦で覚えた走りの感覚は消えないもので、次のレースでベストを更新しました。確か4分42秒だったと思います。しかもこのベストを更新した時の高揚感はとてつもないパワーを生み出しますよね。死ぬほど嬉しいし、もっと練習してこの高揚感を味わいたいと思うわけです。だから部活の時間がすごく楽しみになっていきました。練習すればするほど、レースで自己ベストが出て高揚感を得られるわけですから。もう練習すること自体が高揚感だったわけです。
そうしてどんどん練習を積んでいって、最終的に1500mの記録が4分36秒まで上がって、とてつもない成長を遂げましたよね。この時、中学校の都大会に出られるタイムが4分35秒だったので、来年は必ず都大会に行けるねみたいな話を顧問の先生と話していました。ここで自分は1500mで都大会に出ることを目標に頑張ることにしました。全国大会に行くとかそういうレベルではないですが、なぜか都大会に出ることで満足していましたね。これは競技者としてどうなのかと。やるなら頂点をと言わんばかりの勢いでやってきたのにいきなりしょぼくれたなと。そう思う方もいらっしゃるかもしれない。
自分自身の限界の壁
これには少しこれには訳があって、野球で挫折したことをひきづってるんですよね。自分には立派な成功をすることはできないとか、頂点を目指す器じゃないとか。そう思ってたら現実もそうなりますよね。だから、その通りの結果しか出なかったですね。目標も都大会止まりで終わってしまっていました。だけど、それで自分が満足していたらそれで良いかと今では思います。仕方ない、こういう考え方に当時はなってしまったんですから。
とまあ話を戻しましょう。
駅伝という素晴らしい競技
都大会に出たいという目標を立てて、冬練習に臨みます。冬になると駅伝大会が始まりますよね。僕はこの駅伝大会が大好きでしかたなかったです。だって、美しいじゃないですか。一つのタスキをチームで繋いでゴールする。もうそれだけでどんぶり三杯はいけるね。それにプレーヤーとして出られたことが今では誇りですね。過去の栄光です。
そこで僕は区の駅伝の選抜として選ばれたんですよ。すごくないですか。しかも1区を任されたんですよ。
すごくないですか?
しつこいですよねすみません。
もうこれは後にも先にもないことくらいの出来事でした。区の中学校で速い人たちが集まって一緒に練習をするという、この意識レベルの高さ。もう好き。好きです。
そして、チームで試走会もして準備万全です!となったわけですが、僕はこの駅伝大会の週に風邪をこじらせます。もう終わりました。僕の時代は。終了です。何してんねんと。アホかと自分で自分を責めました。
せっかくのチャンスを風邪なんかに邪魔されて、もう悔しすぎます。もうダメだと思いましたが、もう一段階上の絶望が待っていました。
それは、雪です。雪が前日にバカほど降りまして、めちゃめちゃ雪が積もったわけです。駅伝大会の会場も雪が積りに積もって、まさかの大会中止。おいおいおい。まじかと。こんなことあるのかと思いました。
風邪で俺1人抜けたくらいで補欠の人もいるし、なんとか戦ってくれると思いました。しかしそれすらもできない。なんてことだ。この時代にバイキングの小峠さんがいたら全力で共感できたのに。なんて日だって叫びたかった。運がついてなかった。そう思うしかないですね。
着々と準備できている
いつまでもしょげてられないですよね。だから僕は風邪をしっかり治して、来シーズンに向けて練習を再開しました。その中でも3000mのタイムを伸ばすために冬は練習しました。この時には1500mと3000mで都大会に行きたいという目標に変わっていました。理由はあるロードレースで3000mを走った時に、結構良いタイムで走れたからです。確か9分55秒とかだった気がします。10分切れたら都大会に行けるので、3000mは順当に行けば都大会に出場できるタイムがもうすでに出ていました。じゃあこの2種目で都大会を目指そうという感じになったわけです。全く欲張りめ。
そして3年になり、シーズン初戦を迎えました。そこで1500mで4分31秒を出して、これは確実に都大会に出場できるという心境になりました。このタイムで支部予選を走れば都大会に出場できます。そうなんですよ、支部予選でこのタイムを走らなければならないのです。まぁでも、タイム切ってるし余裕でしょという感覚でいました。また3000mは初戦で9分47秒で走れて、ここも都大会は確実だと思っていました。
真の暗黒時代
だがしかし、現実はそう甘くない。
また、怪我をするわけです。
油断したんですね。タイム出てるし今まで通りやれば都大会はいけると。そう思って気が抜けました。悪い癖。もうお尻の筋肉が張り裂けるのではないかと思うくらい痛くて、1週間走れなかったんです。しかもそれが支部予選の2週間前。もうやばいです。
しかもこの時怪我の治し方とか分からなくて、ひたすら休んでたんですよね。何も運動もせず、心肺機能にも負荷をかけず、ひたすら休んでました。
そうしたら痛みは無くなりました。
その代わりに心肺機能が小学生に戻りました。1週間何もしないとこうなります。
本当に終わりました。今度こそ終了です。
3000mと1500mなんて、心肺機能が弱くなればそれと比例してタイムは遅くなりますよね。誰が考えてもわかることです。僕はそのことを理解しないまま休んでいました。怪我が治って走りました。
走れません。
全然走れません。焦ります。いっぱい走ります。また少しだけお尻が痛くなります。焦ります。この繰り返しです。初戦は3000mです。心肺機能超大事です。なのにお尻が痛くて走れない。心肺機能が戻らない。
こうして迎えた3000m予選。
大爆死。
10分15秒くらい掛かってしまったわけです。もう絶望です。都大会に行けませんでした。でもまだ1500mが残ってる。だからここに向けて調整しようと切り替えました。その1週間後に1500mのレースがありました。しっかり調整して、普段通り走れば都大会に行けるから大丈夫と、そう言い聞かせて走りました。
結果は4分36秒でした。
後1秒で都大会に行けませんでした。こんなことあるかと思いました。死ぬほど悔しかった。実力はあるはずなのに、なんでこうなるんだと自分を責めましたね。
でも仕方ないです。結果は結果で受け入れるしかない。都大会だけが大会じゃないですから。
まだ連合陸上競技大会という、区の学校が対抗で戦う大会があって、それが9月なんですよね。だからそれに向けて切り替えて練習しようと思ったんです。
徐々に練習してだんだん体力も戻ってきて良い感じに準備できていました。
また怪我
そんなある時、腰に鈍い痛みを感じました。嫌な予感がしました。腰が痛いのは野球の時に経験済み。その痛みとよく似ているんですね。「うわーー、これまたやったのか」と思って病院に行きました。椎間板ヘルニアと診断されました。まじですかと。こんなことありますかと。もう完全に折れましたよね笑
ぽっきりいきました。
その時にはもう大会まで2週間切ってたんですよね。もう自分の中の情熱の炎は消えました。
流石にかわいそうだと思った顧問の先生が最後の大会だからということで、大会を見学させてくれました。
先生なりの配慮だったと思います。しかし、僕にとってこれはあまりにもキツすぎました。本来、自分が上位に入賞するはずだった2000mで自分は走れていないし。しかもその競技で優勝した子がシニアで野球を一緒にやっていた子が優勝したんです。いつも野球での走りの練習で競い合ってた子です。その子が優勝して僕はそれをマジマジと見てたんですね。
表彰式も見ていました。辛かった。怪我した自分を恨みました。
引きこもりの巻
こんなこともあって、僕は病み期に入ります。家に閉じこもります。何も運動もせず家でひたすらアニメ見たり映画観たり。自堕落な生活をするんですね。もう今思い出すとひどいもんですよ。2日くらい風呂にも入らずずっとアニメと映画をエンドレスで見たりしてました。
母さんから臭いから風呂に入れと言われてようやく風呂に入ったり、受験勉強も控えていましたが、全く勉強もしなかったです。
だから学力もつかないしスポーツ推薦も無理です。
受験編
だから一般推薦で受かるしか道はなかったんですよね。最低限成績はオール3くらいだったので、一般推薦でいけるくらいの成績ではありました。
小論文を沢山練習したり、面接練習をしたり、集団面接もあったので集団面接のシュミレーションもしたりしました。ちゃんと対策した甲斐あって、高校に無事入学することができました。
腐ってた僕ですが、なんとかして高校入学はすることができました。この時期を救ってくれたのが今でも関わりがある家庭教師をしてくれていた先生なんですね。本当に厳しい人で何度か逃げたくなりましたが、ちゃんと面倒を見てくれまして、人として少し成長できたかなと思います。そんな先生のおかげで中学校を無事卒業して、高校入学するわけです。
終わりに
ここまで書いてみましたが、いかがでしょうか。
だいぶ中学は病んでることが多いですね笑
思春期だから仕方ないですね。
ちょっと今回は重めの話にはなってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。
次は高校生編です。
今回より明るめの話にはなると思うので、ぜひお楽しみに。
ではまた〜
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