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感知力×語彙力の相乗効果

ちょーすごい、ちょームカつくなど、ちょー☓☓を多用していた中学生の頃、父はこう言ってたしなめました。

「同じ言葉ばかり使ってると、だんだんその言葉しか使えなくなって薄っぺらくなる」

思春期真っ只中でしたが、この言葉には不思議と反発心がなく、素直に聞き入れたことを覚えています。

いまふたたび、NVCの学びや、信頼できる仲間との対話を通して、表現の広がりにはボキャブラリーが大いに関わることを再認識しています。

自分の感情をできるだけ的確な言葉で表現していく。その表現に違和感を感じたら、修正を重ね言葉を上書きし、より自分の気持ちにフィットした表現を探り出す。

そして再び問います。
なにがそんな思いにさせたのかと。
何が満たされたから、あるいは満たされなかったから、そんな思いを抱いたのか。
自分の中の願いや祈りをつぶさに根気強く探っていき、言葉に変換する。

納得した言葉が出て、その言葉を耳にした瞬間、ああそうだったんだ、と発見すると同時に、自分の言葉が耳から再び自分の体内に戻る。

そうしてさざめきのように体内に反響していく。

自分の本質を突いた言葉には、そうしてゆるぎない力をともなって宿っていくように感じます。

言葉に修正を重ねて、より的確な表現を探るのは、解像度を上げるということです。
画質の荒いぼんやりした画像ではなく、よりシャープな画像へ。

画像を描くには、まずは感覚を優位にすることですが、感覚でキャッチした画像をよりクリアに、確かなものに変換するものが言葉です。そして、その言葉によってさらに感覚が研ぎ澄まされる。その循環と繰り返し。

父がかつて「薄っぺらくなる」と言ったのは、表現の幅が狭くなることで、人間性の幅を狭めることになるということを言い当てたのだと思います。

豊かな表現力は、感受性も豊かにする。
言葉に限らず、表現の幅を広げたいと思う今日この頃です。 

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