機能不全家族で育った私による『1122』最終7巻の感想
『1122』の最終7巻を読み終えた。
…というか、ほんとは発売日に読み終えてたんだけど、感想を書こうとすると自分の根深い苦しみ(いちこちゃんと同じく機能不全家族で育ったので、いちこちゃんの痛みに過剰に反応してしまう)も一緒にぐるぐるして、なんかまとまらなかったのよね…。
やっと書きたいことがそこそこまとまってきたので、公開してみる。
必要なのは「結婚」じゃなくて「矛盾した気持ちにも寄り添ってくれる味方」だと思った
7巻まで読んで、改めて、「あーおとやん好きだなー」と思った。
なぜなら、目の前にいるいちこちゃんの気持ちをそのまま大事にして、味方でいてくれるから。
いちこちゃんの父親は、酔って母親に暴力をふるうことがあった。
母親は、そんな父親への憎しみをいちこちゃんにぶつける。
「私が暴力を受けている間助けてくれなかった」といちこちゃんを責め、「あんたのしゃべり方と目の据わり方あの人そっくり」「気が強くて言い方キツくて わたしを責めるのも父親とおんなじさ」と、いちこちゃんを否定する。
いちこちゃんは、だからお母さんに優しくできない。なるべく実家に戻らないようにしている。
お母さんに連絡しなければいけないことがあれば、夫のおとやん(つまりお母さんにとっては義子)に頼んで仲介してもらっていた。
しかし最終7巻、いちこちゃんはおとやんと離婚して、そのことを自分でお母さんに報告しなければいけなくなる。
きっとまたああだこうだ言われるのだろう…、と重い腰を上げて実家を訪ねると、お母さんは死んでいた。
このときのいちこちゃんの気持ち…痛いほどわかる。
どんなに自分を傷つけてくる親でも、「孝行」できないでいると、自分が悪いような気がしてしまう。罪悪感がずっしりとのしかかってくる。
誰にも、自分を削ってくる人と距離を置く権利があると思う。
その「自分を削ってくる人」が親であっても、だ。
でも、多くの第三者は、「親と距離をとっている」ことにしか注目してくれない。
「なんで実家帰らないの?」「お父さん(お母さん)寂しがってるよ」
「もう大人なんだし、許してあげたら?」
「お父さん(お母さん)がそういうこというのは照れ隠しだよ/不器用だからだよ」
じゃあ、私の代わりにあの人の子供になってくれませんか?
この苦しさを肩代わりしてくれませんか?
と、何回思ったかわからない。
でも、外野からこういうことを言われ続けると、自分の内側からもヤジが飛んでくるようになる。
「今頃寂しがってるかもしれない」
「ずっと苦しかったけど、悪い思い出ばっかりあるわけじゃない」
「なんだかんだ言っても、育ててくれたし進学させてくれた。恩を返すべきなんじゃないか?返すことを放棄した私は、人として間違っているんじゃないか?」
お母さんの葬儀の日の夜、いちこちゃんはおとやんに言う。
「お母さんが怒ってるのかも わたしがひどい娘だったから」
「わたし 母が亡くなってから 一滴も涙が出ないんだ 我ながらほんとに冷たいなって」
私も、自分の父親(縁を切ってる)が死んだら、同じようなことを言いそうだ、と思う。
だから、おとやんが返してくれた言葉に、「あらかじめ救われる」みたいな気がした。
「いちこちゃん そんなことないよ
いちこちゃん お義母さんのこと
ずっと気にかけてたじゃん」
「泣くことだけが
悲しみの表現じゃないし
その感情もタイミングも
一人一人違うもので
表現や状態では
はかれないんじゃないかな」
「俺 お義母さんのこと
けっこう好きだったよ
不器用だけど実直で強かった
いちこちゃんの辛さとは
比べるべくもないけど
一緒に悼むことは出来ると思う」
1巻で、いちこちゃんはお母さんのことを「キライ」とも「かわいそう」とも言うんだけど、これもおとやんは否定しないで聞いてくれる。
親のことを憎む気持ちと、親を大事にできない罪悪感、両方が同時に存在すること、受け入れて受け止めてくれる人ってなかなかいないから、物語の中の人だけど、おとやんがいてくれてよかったなあ、って思った。
(多くの人は、「苦しい相手の気持ちを受け止める」ことよりも、「常識のものさしとか、自分の価値観をくっつけてきてジャッジする」ことを優先して、応答するから(例えば、「キライならもう実家行くのやめたらいいじゃん?」とか、「かわいそうって思ってるなら、もっとお母さんに優しくしたら?」とか、言う))。
親との関係のことに限らず、人間はみんな、相反する思いを、同時に抱えたりするじゃない?こうできたらいいとは思ってるけど、どうしてもできない、ってことがあるじゃない?
その「矛盾」とか「正しくなさ」に自分の内側から押しつぶされそうになるとき、「大丈夫だよ」って言ってくれる人がいるって、どうしようもなく希望なんだよね…。
昔、ぼんやり結婚したいような気がしていたんだけど、ほんとの願望はそこじゃなかった。
私の矛盾した感情とか、「普通じゃなさ」にも寄り添い続けてくれる、「味方」がほしかったんだ。
(1122からちょっと脱線しますが、親との関係に苦しんでいる方向けに、私の気持ちがとっても楽になった参考記事を以下に貼っておきます↓)
(…でも、いくら相手が寄り添ってくれる人だとしても、相手にばっかりgiveしてもらう関係は不健康だよね。お互いがしんどいとき、順番に助けあえる、循環する関係がいいよね。再び原わたさんの参考記事貼るですよ(ちなみにこちらの記事は有料です)↓)
虐げられている側が戦わなきゃいけないの、つら
『1122』 はいちこちゃん夫婦以外に、もうひと組の夫婦の変遷も追っていく。そのもうひと組の「柏木夫婦」では、夫(志朗さん)から妻(美月さん)へのモラハラがひどくて、まともな人間関係が構築できていないことが大きな問題になっている。
志朗さんは、「育児は美月の担当でしょ」と言い張り、彼女が子供を育てながら感じている苦しみを吐露しようとしても耳を貸さない。
嫌がる美月さんを無理やり押し倒し、「夫婦でも無理やりセックスするのはレイプだよ」と美月さんに言われたら、「なんで急にフェミっぽいこと言いだしてんの?」と返す。
2人は衝突しながら、ほとんど壊れそうになりながら、なんとか向き合おうと努力して、最終巻ではすっかり変わった志朗さんが描写される(息子のひろくんが肩車してほしがってるのがわかるようになったところ…あああああ(号泣))。
よかったーーーー!!!!という気持ちが一番大きいけど、それ以外に、つらい気持ちもあって。
美月さんが志朗さんの唇を噛み切って、志朗さんの無理なセックスの誘いを拒むことに成功(?)するシーン@4巻で思ったんだけどね。反抗したことで逆上されて余計に暴行を加えられたり、殺されちゃう可能性もあったと思うんだ…。美月さんはがんばって拒んだけど、怖くて拒めない人もいると思う。
そこで「拒めない人」「戦わない人」にとっての敵って、「直接攻撃してくる人」だけじゃないんだよね。
「いやいや、もっとできることあるでしょ。諦めるの早いでしょ」って言ってくる、「第三者」も敵なんだ。
例えば↓で紹介されている例とか…、対峙する側の働きかけではどうしようもない場合もあるんだよ…。
(自己愛性パーソナリティ障害については、もっと勉強しなきゃと思う)
「どんな人だって、話せばわかるよ」「だめだと思っても、話し続けなきゃ」「家族だったらいつかわかりあえるよ」
自分のものさしばっかり押し付けてくる人たちの言葉は、軽いくせに殺傷力が高い。
だから私は、(誰に届くかわかんないけど)、「自分を傷つけ続けてくる人とうまくやろうって考えなくていいよ!どうしようもないときは逃げてもいいよ!」って絶対言い続けたい。
(でも、パートナーの収入で生活している場合、逃げることも難しかったりするよね…。ベーシックインカムが導入されたりしたら、もっと状況は変わるかな?このあたり、どうすれば出口がつくれるのかについては、引き続き考えていきたい)
美月さんは、志朗さんに、望まぬセックスを強制されたり、押し倒されてレイプされそうになったりしてさんざん苦しみながらも(美月さん→志朗さんの方向で傷つけたこともあるけど、傷つけられた美月さんが「反撃」としてそうしていることが多いなと感じる)、何度も対話しようと呼びかけて、ようやく志朗さんときちんと向き合うことができるようになった。
悲しいし、むかついた。
虐げてくる人とまっとうな関係を持ちたいと思ったら、虐げられてる側が怖い思いを何回繰り返しても立ち向かうしか方法がないんだろうか?、と思って。
映画『はちどり』とか漫画『軍と死-637日』でも思ったんだけど…
「戦う人」が称えられて、「逃げる」選択肢が閉じられるのは、苦しい!
うんわかる、わかるのよ。
不条理をそのまま放置していても事態は解決に向かっていかないから、できることやっていこうよ、っていうメッセージなのは、わかるの。
世界はそうやって、戦う人の存在によって良い方向に向かってきた、っていうのも、わかるんですよ。
個人と個人のやり取りっていうミクロなレベルだけじゃなくて、例えば政府に対してとかでも、変だと思うこととか不当だと思うことに声をあげていくのは大切なことだと思う。
でも、不条理を解消する過程で、虐げられてる側が何回も何回も血を流したり、身の危険を感じながら生きてかなくちゃいけないのは、おかしくね…?
映画『新聞記者』の杉原さん(←松坂桃李さんが演じてた)とかさ、映画『サイレンス』のキチジロー(←窪塚洋介さんが演じてた)とかさ、自分とか自分の大事な人を守るために戦えなかった人・戦うのを諦めちゃった人のこと、間違ってる・弱いって切ることはできないな…。
戦う人が犠牲にならないように、不利益を被らないようにするには、どうしたらいいんだろうね…。(これも、今後考えていきたい宿題だな)
私は、
・虐げられている人が、「逃げる」ことも
積極的な選択肢として広く認められる。
・ミクロな問題にしてもマクロな問題にしても、「安全な場所から戦う」ことが可能になる。
この2つが実現する日が来たらいいなって、思う
(だからこれからも、いろいろ読むし観るし、書いていく)。
これは『1122』の柏木夫婦の物語を否定したいってことじゃなくて。
柏木夫婦の物語が「人間は変われるという希望を描くもの」だったとすれば、「『変われない人間』がいる苦しみ」だとか「変われない人間と生きていくことに疲れて、逃げてしまった人」に寄り添う物語も必要じゃないかって考えている、ということ(例えば映画『葛城事件』みたいな物語ね)。
以下、さらにかけらみたいな感想とかつぶやき
■おとやんのお母さんとお姉さんが好き。とても好き。
■礼くんがリラックスして自分の弱音を吐き出せる場所がみつかるように…祈っています…!
■美月さんとおとやんの会話@7巻の、美月さんの台詞が印象的だった。
この漫画、「やり直すこと」「再構築すること」が結構重要なテーマになってると思う。
登場人物はみんな正しくないところがあるけど、正しくない自分を見つめて、過ちを振り返って、言葉を尽くして前を向いていこうとしてた。だから感動したし、たくさんの人の人生に必要な漫画だ、って思ったの。
「人を許す」とか「自分の過ちを認める」ってこと、私も苦手なんだけど、「1発アウト」だと生きていくの苦しいよね。
今の日本では、ドラッグ使用とか不倫とかがニュースになると芸能人がぼこぼこに叩かれるけど、そうやって誰かの「やり直す」可能性を徹底的につぶしたことはきっと、ブーメランになって自分にもかえってくると思うんだよね。
どうすれば、もっと他の人を許せるようになるのか、やり直しがしやすくなるのか、引き続き考えたいなあ…。
■フードがおいしそうすぎて素敵すぎたのですが!?
・牡蠣と野菜の鍋!
・お花のケーキ!(トラウマにはなった)
・ラブホのタイ料理!
・焼きおにぎり!
・しらすトーストとおぼしきもの!
・たいやき!しるこサンド!(あーたあんこ好きだね)
・豚肉パクチーたけのこの餃子!
・春巻きと豆ごはん~~!!
■そしてフード表現ぐっと来すぎるのですが!?
・柏木家、ちゃんとしているけど(しているから?)苦しい手料理。
・結婚7年目はワイン、おとやんの誕生日は日本酒、一緒に餃子つくったときはシンハー、いちこちゃん夫婦の楽しい時間にはいつもお酒があって。だから、@7巻、「なんか飲む?お酒とか」といういちこちゃんの問いかけにおとやんが「しらふで話そう」って言って、いちこちゃんが「うんそうだね お茶にしよ」って答えた時…ああ、終わるんだ、って思って苦しくなっちゃった。
・1巻では羊羹おいしそうに食べてたのに、7巻では食べないいちこちゃん…うっうっ(泣くな)
・7巻の最後の最後にお母さんにもらったラーメンを食べるのもさ…うっ、うう…(泣くな)
・いちこちゃん@4巻、「今日お皿横並びにおいといてくれる?」っておとやんに頼むシーンがある。
その理由をおとやんに訊かれて、そのときは「なんとなく 並んでごはん 食べたいなって」と返してた。
7巻でも同じようなやり取りがあって、またお皿を横並びにする理由をおとやんに訊かれるんだけど、今度はいちこちゃん、「なんか安心するから」って答えるんだよね…あああああああ(涙腺崩壊)
未読の方は、ぜひ。
(このページ読んでる方は既読の方が多いかなとは思いつつ…)一応1巻の購入ページも貼っておきます。
私自身、機能不全家族で育って苦しかったことをじっくり吐き出していきたいなと思ってます。
途中まで描いた漫画はこちら↓から読めます(この続きは文章にしようかな?と思ってこつこつ執筆してる。制作は、数か年計画になるかも)
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