子どもへの「無償の愛」と「自己犠牲の愛」は違うもの【育児哲学#18】
・無償の愛は自分の中の愛を与えるもの
・自己犠牲は心身共に削られるが、
自分のために、自己犠牲の精神を神聖化する人もいる
・いずれにしても、自己犠牲は削った愛を取り戻そうとする愛
与えることは犠牲を払うことだから美徳である、と考えている人もいる。そうした人たちに言わせると、与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ。
◆ドイツの精神分析学者・社会思想家
エーリッヒ・フロム『新訳版 愛するということ』引用
「相手に何かを与えること」を、「自分が犠牲を払うこと」だと思いこんでいる人がいる。しかし、人に与えることで、「犠牲」どころかむしろ、「自分が満たされること」がある。「自分を犠牲にしてでも相手に与えること」を美徳だと思う人は自己犠牲の精神を神聖化しているにすぎない。彼らは相手のためではなく、「苦痛に耐える自分」のかわいさゆえに与えるのである。
もし、子育てを「身を削る行為」だと考えているのならばそれは「自己犠牲」の考え方です。
「自己犠牲」はどうしても心と身体を削って、疲労をともなう感覚に陥ってしまうでしょう。
そして、それを補うかのように、子供や他人に愛を求めてしまうか、神聖化して自分を正当化するでしょう。
どちらにしても、子供のためではない行為です。
見返りを求めるかのように間違った子供に必要以上に注意をしてしまうときがあります。
「どうしてできないの?」と感情的に叱ってしまう。
僕も子供に何度も言ってしまい、落ち着いたときにかなり後悔が押し寄せてきました。
子育てをしていると、これが「無償の愛」なのか「自己犠牲の愛」なのか迷ったり悩んでしまうときがあります。
ただ、毎日のように子どもの対応で褒めたり、怒ったり、悩んだりで、改めて自分の愛は無償なのか自己犠牲なのかと考える余裕がないかと思います。
少しだけでも余裕がつくれるのであれば、簡単に「無償の愛」とは、「自己犠牲の愛」とはを説明しますので、考えてみてください。
「無償の愛」とは自分の中の愛を見返りなく与えることです。
そもそも、愛が自分の中にあるのかと思っているかと思いますが、
「愛」は育てていくものです。筋トレみたいな感覚かもしれません。
具体的な方法としては、
・相手の話をじっくり聞いて、共感したり理解を示したりすること
・寛容な心で、相手の過ちや短所を許し受け入れること
・良いところについては、ちゃんと言葉にして褒めること
・どんな些細なことについても感謝の気持ちを伝えること
他にもいろいろと自分の中の愛を育み、与える方法はあるかと思います。
ひとつひとつ、子どもと共に愛を育み与えてあげてください。
そして、自己犠牲にならないためにも、自分を幸せにする方法を考えながら行動しましょう。
「無償の愛」も、自分をポジティブにする一つの方法だと考えます。
子育てのストレスに負けない考え方などはこちらの記事が参考になるかと思います。
育児の方法は様々あるかと思いますが、親の幸せも大事にしながら、愛を育んで子供に与えられる子育てができれば最強だと思います。
完璧は目指さず、できることから子供を愛しましょう。