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教師の腕は所見に現れる・・・のかもしれない


 どうも。今週あゆみ出さなきゃいけないのに、8割型書き直しになったT.Puです。

 本題に入らせてもらう前に、あゆみが子どもの手に渡るまでの流れを説明させてください。どれだけ僕がヤバい状況にあるのかを皆さんに知ってほしいのです💦
 
 この流れは自治体や学校によっても違うと思うので、あくまで僕の勤務している学校で、という前提で読んでくれたら嬉しいです😀

 まず、子どもの手に渡る3週間前くらいにあゆみの提出期限が設定されます。誰に提出するのかというと管理職です。まずは教頭先生に提出し、問題なければそれが校長先生の元に渡り、そこで決済が下りれば初めて子どもに渡せる状態になるわけです。

 そして今僕のあゆみがどこにあるのかと言うと・・・教頭先生のところです。ちゃんと提出期限内に提出したのですが、木曜日に「ほぼ全部書き直し」状態で戻ってきました。今日出勤して、やっとの思いで書き上げたところです。

 明日朝イチで提出して、そのままスムーズに校長先生のところへいけば良いですがなんせ「ほぼ書き直し」なので、また訂正がたくさん入ること間違いなしです。

 そして、先述したように提出は今週の木曜・・・。マジで頭が痛いです。

 「僕のあゆみには今後もたくさん訂正が入るだろう」

 これを前提に、次からは提出期限よりだいぶ早くあゆみを提出しなくてはいけないなあという教訓を得た3年目の一学期です。見てくださる管理職のためにもですね・・・。



 はい。このように、あゆみ関連でこっぴどく失敗している僕ですが、ただの失敗で終わらせず、何かしらの学びを得たいところです。

 教頭先生にも「同じ学年の先生がどんなふうに書いているか見せてもらったら」と言われたので、すぐにお願いして見せてもらいました。

 ・・・すごかったです・・・。すごいと感じるのと同時に、こんな仮説が頭の中に浮かびました。タイトルにもあるように、  

 教師の腕は所見に現れる・・・のかもしれない 

 という仮説です。

 この記事は、どうしてこのように感じたのかを、説明していく記事にしていけたらなと思っています。それではよろしくお願いします!



 まず先輩方の所見がどんなものだったのかを説明させてください。

 とにかく具体的。これにつきます。一人一人の子供の姿が目に浮かぶような、そんな所見になっていました。

 対して僕の所見は、なんだかふわっとしていて、読み方によっては如何様にも解釈できるような文章になっていました。

 この差はなんだろう・・・と思いました。単純な文章力か?語彙の多さか?色々思い浮かびました。それもあるのだと思いますが、決定的なものではないような気がしました。

 う〜ん。なんだろうと悩みましたが、思い至りました。「望ましい子どもの姿が明確になっているかどうか」なのだろうなと思いました。

 僕は、まだまだ望ましい子どもの姿がふわっとしています。どんな行動が評価に値するのかが明確になっていないのです。

 対して、先輩方は望ましい子どもの姿が明確なので、それに適った子どもの具体的な姿を評価でき、文章にできるのだと思います。

 僕と先輩方の差は、「望ましい子どもの姿の明確さ」だという前提に立った時に、この差は所見の書きぶりのうまさだけにとどまりません。

 教師としての腕の差にも直結するのではないかと思っています。

 と言うのも、「望ましい子どもの姿が明確になっている」ということは、同時に子どもに身につけさせたい力が明確になっているということでもあり、それができている人とそうじゃない人の間では指導の質に大きな差が生まれると思うからです。

 これが、僕が教師の腕は所見に現れる・・・のかもしれない と感じた理由です。

 今後は僕も先輩たちみたいに、できるだけ望ましい子どもの姿を明確にして、指導にあたれたらなって思います。そしたらちょっとは所見も上手くなるでしょう!笑

 っていうか、このアカウントの記事を読んだら分かる通り、僕の書く文章は抽象的ですよね。ふわっとしていて、読んでわかるような、わからないような・・・。

 別ベクトルの課題として、もっと「抽象」→「具体」を意識して文章を書く練習をしていく必要がありそうです。


 抽象と具体

 理想と現実

 理論と実践

 

 なんだか僕の課題が垣間見えますよね笑 

 



 地に足をつかせないと。

 


  


 


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