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正体不明の孤独を明らかにしてみる!


 ありがたいことに、僕は色んな人に愛されているなと感じます。

 家族に同僚に、友人が僕と関わってくださいます。

 僕は物理的な孤独とは程遠い、豊かな人間関係を築けているんだろうなと、客観的に見たら思えます。

 客観的に見たら。

 
 主観としての僕はなぜか孤独を感じています。何を他に望むものがあろうかと自分でもぶん殴りたくなりますが、事実としてそう感じています。

 この孤独感を正体不明なものとして放置しておくことは、精神衛生上悪かろうということで、「書く」ことで正体をある程度形にし、対処可能な存在へと変化させることをこの記事のねらいとします。

 ねらいにたどり着くための記事の進め方としては、「孤独を感じる具体的瞬間の収集」「各事例のときの感情」「各事例から共通する点の抽出」という流れで行っていきたいと思います。

 それではよろしくお願いします!


1孤独を感じる具体的瞬間

・カップルを見た時やお祭りなどイベントで楽しそうにしている人たちを見た時
・仕事中、「1人で大丈夫だから」と言って、いざ1人で作業する時
・自分を理解してくれそうな人に送ったLINEに期待通りの反応が来なかった時
・自分の主張が理解されない時
・誰かと遊びたいと感じて誘おうと思ったら、誰も誘いたい人がいない時
・自分より圧倒的に賢い人たち、抽象度の高い言葉を扱える人を見た時

2 各事例のときの感情


・カップルを見た時やお祭りなどイベントで楽しそうにしている人たちを見た時

→ 僕は休日、基本的に午前中はずっと教材研究や勉強をしている。それで充実感を感じるし、好きでやってるから構わないのだが、いざカップルやイベントに参加している人を見ると、「自分はこれで大丈夫なのかな?」「どうせ僕を理解してくれる異性はいないんだろうな」という気持ちになる。

・仕事中、「1人で大丈夫だから」と言って、いざ1人で作業する時

→運動会の練習でテントの釘打ちをしている時、女性の先生が1人で作業していたので「ここは1人で大丈夫なので、あっち手伝ってあげてください!」と言って1人で作業することに。向こうに行った先生と女性の先生が楽しそうに釘打ちしているのを見て、「微笑ましいなぁ☺️」と思うのと同時に、「なんか寂しいな」と感じた。

・自分を理解してくれそうな人に送ったLINEに期待通りの反応が来なかった時

→自分のロールモデルになってくれそうな人を見つけて、今の自分の思いの丈を書いたLINEを送ったが、返事が期待通りのものではなく「この人も違うのか、、、」という残念な気持ちになった。

・自分の主張が理解されない時

→研究員として、研究内容の記述をどうするか話し合っている時にどうしても違和感がある記述があって、変更したほうがいいんじゃないかと提案したが、「変なことにこだわるね」みたいな感じで理解されず、この人たちも僕を理解してくれないのかと悲しい気持ちになった。

・誰かと遊びたいと感じて誘おうと思ったら、誰も誘いたい人がいない時

→いざLINEのリストを見た時、この人と遊びたいって人がおらず、驚きと共に悲しい気持ちになった。

・自分より圧倒的に賢い人たち、抽象度の高い言葉を扱える人を見た時

→現場とは違う居場所を求めて学会に行ったら、そこは異次元の世界で、ここも違うなぁという残念な気持ちになった。


3 各事例から共通する点の抽出

 僕の孤独パターンを改めて眺めると、「自分で遠ざけるパターン」「理解者を求めて勝手に失望するパターン」の2パターンに分けられることがわかります。

 各事例を分けると、

 ・カップルを見た時やお祭りなどイベントで楽しそうにしている人たちを見た時
→遠ざけるパターン

・仕事中、「1人で大丈夫だから」と言って、いざ1人で作業する時
→遠ざけるパターン

・自分を理解してくれそうな人に送ったLINEに期待通りの反応が来なかった時
→勝手に失望するパターン

・自分の主張が理解されない時
→失望するパターン

・誰かと遊びたいと感じて誘おうと思ったら、誰も誘いたい人がいない時
→遠ざけるパターン

・自分より圧倒的に賢い人たち、抽象度の高い言葉を扱える人を見た時
→失望するパターン


 そしてこの2パターン、全く無関係でもなさそうです。

 遠ざけるパターンはいわば、既存の知り合いをシャットアウトすることで生まれるもので、失望するパターンは新たな出会いを求める行動によって生まれるものです。

 つまり僕は今、無意識に「人間関係のリセット」を行おうとしているのではないでしょうか?

 

4 まとめ

 「僕は人間関係のリセットをしようとしている」

 「だから孤独を感じている」

  というのが今回の記事の結論です。

 でな、僕は人間関係をリセットしようとしている原因は何でしょうか?

 それは、おそらく僕自身の成長なのだと思います。何がどう成長したのかよくわかりませんが、恐らく教員になってからの3年間で、僕のレベルが1段階上がったのでしょう。

 

・・・周りを自分と比較して、相対的に進歩していない人間と捉え、切り捨てることが成長なのだとするならば、僕は成長なんてしたくなかったです。

 でも、僕が自己成長したいと望む限り今後もそうなっていくんでしょうね。

 多分おおくの人もこのような経験を繰り返してきたのでしょう。人間あるあるなのかなーって思います。

 

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