「大人にしないことは子どもにするな」という風潮について
例えばですけど、給食をこぼした児童を怒鳴りつけ、代わりに処理するっていう指導は良くないって個人的には考えています。この指導には良くない要素が2つあります。
まず一つ目が「怒鳴りつけること」。そして二つ目が「代わりに処理すること」です。今回は、なぜこれらがまずいと思うかを、伝える記事にしていきたいと思います。それではよろしくお願いします!!
最近の教育界の風潮として、「子どもの人権を保障しよう」というものがあります。とっても簡単に言っちゃうと、「大人にしないようなことは子どもにもしないようにしよう」ってことなのかなって思ってます。
逆に言えば、これまでは子供の人権は蔑ろにされてきたと見なされているということです。「子供だから大人の言うことを聞くのが当然」という価値観こそが、人権侵害とも言えるのかもしれません。
このような価値観が支持されてきたことには妥当と思える理由があるように思います。それは「子どもには責任をとる能力がないから」と見なされてきたからなのではないでしょうか?
例えば、「子どもは支払い能力(責任)がないから、子供の『おもちゃが欲しい』という主張を無視する」というものです。従わせる方法が多少強引でも、子どもは責任を取れず、その責任をとるのは大人なのだから、大人の言うことには従えという理屈だと思います。至極真っ当だと思えますよね。
ただ、この理屈が行きすぎた結果、「将来の責任まで大人が取ろうとし、本人の意向を無視して勉強漬けにする」「子供同士の喧嘩の責任まで大人が取ろうとし、子供本人たちは解決しているのに大人がヒートアップして解決する」といった過干渉が起こってくるのだと思います。
その結果、「どうせ誰かが解決してくれる」「どうせ自分が何か行動したところで何も変わらない」という受動的で無責任な人間が生まれてしまいます。
だから僕は、「子どもは大人の言うことを聞くのは当たり前」だという価値から一歩二歩離れていく必要があるのではないかと考えます。
そして「大人にしないことは子どもにもしない」という価値観に近づく必要があると考えます。
大人に1人の人間として向き合ってもらった子どもは、自分の考えを主張し、行動に責任を持ち、あらゆる他者を1人の人間として尊重する態度が身につくと思うからです。
ただ、この「子供の人権を保障しよう」という風潮が「子供のわがままを許そう」みたいな風潮として捉えられている節があるのではないかというのが、僕がもっている懸念です。
子供の主張を聞くというのは、子供のわがままを聞くということではありません。主張を聞いた上で、その行動の責任を子どもが取れる範囲で取らせるということです。
よって、今後大人は子どもに対して「子どもの人権を保障しつつ、責任を取らせる」というスタンスが求められるのではないでしょうか。
そうなった時に、最初にあげた
給食をこぼした児童を怒鳴りつけ、代わりに処理するという指導
は両方を満たしていないという点で問題だと考えます。まず、怒鳴るという行為は人権侵害です。大人の世界でやるとパワハラになることからも、「大人にしないことは子どもにしない」という原則から離れることになります。
そして代わりに処理するという対応は、子どもに責任を取らせていないという点で問題だと考えます。これでは、子どもは「怒らさえしとけば別に面倒なことないし」という誤学習に繋がります。
よって、この指導は良くないんじゃないかなって思います!!
この指導場面において、どうしたらいいかというと、平然と、なんなら笑顔で
「拭けばいいだけじゃないですか」
「処理してもらえる?」
って言えばいいだけじゃないでしょうか?そして、助けを求められたら助けるという対応で良いのではないでしょうか?
まあ、僕も怒鳴ったり(昨日もしちゃった・・・)、責任肩代わりしたり全然できてません。でもこの考え方を頭に入れておきたいと思います!
ここまで読んでくれて、ありがとうございました!!
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