なぜ学力を高めないといけないのか?
最近、「学校は変わらないといけない!!」っていう研修がめちゃめちゃ多いです。一昨日も、昨日もありました。
昨日の研修はうちの自治体全ての学校が参加する大規模な研修で、ゲストは元社長校長でした。服装はTシャツに短パン。いかにも”今風のできる人”って感じです。「うちの自治体もこういう人を講師として招くようになったかあ」とワクワクしました。
そんな感じの研修だったのですが、僕が一番印象に残ったのはこの講師が発した以下の問いです。
「なぜ学力を上げないといけないのか。」
この方は子供のウェルビーイングを第一条件として学校の経営をされている方で、「学力向上を目的とした活動で子どものウェルビーイングが損なわれるなら、なぜ学力を上げないといけないのか?」
という文脈でこのような問いを発しました。
この問いをを聞いた現場はざわつきました。
僕も「確かに・・・」って思いました。
僕たちは今、改めて学力とは何か、そしてそれが子どもの幸福にどのようにつながるのかを考えなくてはいけない段階にいるのかもしれません。
今回の記事では、むしろ何で今まで考えてこなかったんだろうってくらいの根源的な問い、「なぜ学力を上げないといけないのか」について考えていきたいと思います。
それではよろしくお願いします!
学力とは何かという問いから始めたら、もう死ぬほど長い記事となってしまうので、昨日の研修の文脈より、学力=「全国学力調査で測られる力」と便宜上定義させてください。
「全国学力調査で測られる力」の具体として学力テストに関する情報を学習した上で相棒が提示した以下の4つを挙げたいと思います。
また、この問いは誰を主語に置くかによっても変わってきます。子どもなのか親なのか、それとも先生なのか。僕は先生なので、今回は主語を先生において考えさせてもらいます。
前提が揃ったところで改めて問いを提示します。「なぜ先生は学力を上げないといけないのか」。僕は2パターンあると思っています。
一つ目です。
ぶっちゃけ怒られないように、じゃないですか💦(僕だけかもしれない)
言い方悪いので、こうしましょう。社会の期待に応えるため。
子どもに、保護者に、管理職に、行政に、社会に怒られないように子どもの学力を上げようと躍起になっているような気がします。大きなものからの要請で結果を求められるのだから、まあそうなりますよね。
結果を求められる人間がよくとる方法としては、手段を選ばず手っ取り早く結果を出す方に走ります。学校で言うと、最も手っ取り早いのは子どもをガチガチに管理し、アメと鞭で目標の達成を目指す道です。(まあ今はこれでは点数取れなくなってるんですが)。
そこに子どもの幸福の視点は入っていません。
僕たちは安易にこの道を選んでなかったのかっていうのが、例の講師が突きつけた問い、
「学力向上を目的とした活動で子どものウェルビーイングが損なわれるなら、なぜ学力を上げないといけないのか?」
の本質じゃないかと思うんですよね。
僕たちは、未来を育てていかないといけない存在であるがために、社会から求められることも多く、それに答えようとした結果子どもの幸福が後回しになっているっていうところだと思います。
なぜ先生は学力を上げないといけないのか」に対する答えとしての2パターン目です。超シンプルに、
「子どもが幸せにするため」
と思っている方が大多数なのではないでしょうか?(僕もこっちの比重が大きいと思ってます!)。
学力が高ければ良い大学に行けて、良い企業につけて、良い生活ができて、幸せになれるという価値観のもと、子どもの学力向上を目指しているのではないかと推測します。
また、学びが人生を豊かにしてくれることを知っていて、だからこそ学力をつけてあげたいと考えている人もいるのではないでしょうか?(僕はこっちです)。
教師はひとえに、子どもの幸せのために学力向上を願い、先生という職業を遂行していると思わあれます。
なぜ先生は学力を上げないといけないのか問いの答えとして
「社会の期待に応えるため」「子どもを幸せにするため」
という回答を出してみました。こうやってみると、何も間違ってないように思えます。実際、学力は子どもを幸せにするでしょうしね!
しかも、教師の仕事って「学力をつける」ことです。だから、学力をつけるために仕事するのは当たり前で、そもそも「なぜ先生は学力を上げないといけないのか」という問いは成立すらしないかもしれません。「それが仕事だから」で終わりです。
だからこそ効いていくるこの問い、
「学力向上を目的とした活動で子どものウェルビーイングが損なわれるなら、なぜ学力を上げないといけないのか?」
です。この問いは多くの学校批判をま抽象化したもののように思えます。
「教員は子どものウェルビーイングが損なわれるのを『それが仕事だから』で済ませてこなかったか?」。
「それが仕事だから」で全てを正当化してこなかったか?
「それが仕事だから」で子どもの多様性を無視してこなかったか?
「それが仕事だから」で、子どもの権利を侵害してこなかったか?
これらが今の学校現場に突きつけられているものなのではないでしょうか。
これは公害を引き起こす企業にも通づるものがあると思っています。
「利益を出すのが仕事だから」で全てを正当化し、環境や周辺住民へ配慮してこなかった企業と同じなのではないでしょうか?
ここまでをまとめて言えることは、
僕たち日本の教員に求められているのは、むしろ結果ではなく、結果を保ちつつも、子どもの人権を尊重し健全な発達を促すための過程なのかもしれません。
だから、「自由進度学習」「スクールワイドPBS」などが叫ばれているのかもしれませんね。
学力という結果で言えば、日本は結果を出しています。変わらなくていいように思えるかもしれません。
でも、不登校率は上昇し子どもの幸福度は最悪です。
ここをどう捉えるかですね。結果を出せば、過程はどうでもいいのかっていう。
僕たち教員はどう捉えたら良いのでしょうかね??