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理論は呪いだ。理論は未来だ。


 理論は呪いだなあって思います。そして、自分は理論に呪われているなと感じます。同時に、理論は未来だなあって思います。

 今回は理論の恐ろしさと、そしてその大切さを考える記事にしていきたいと思います。 

 
 まず、理論とは何か僕と読者の間で認識を揃えておきましょう。理論とは、体系性、検証可能性、普遍性、予測力をもった知識のことです。

 一番わかりやすいのは自然科学分野における法則でしょう。「テコの原理」とか「オウムの法則」とかです。これらは、条件さえ揃っていれば必ずこの結果になるという意味で、かなり強い理論と言えるでしょう。

 また、自然科学分野に比べたら予測力や普遍性は低いですが、経済学の「需要と供給の法則」とか、歴史学の「社会が安定しているときは文化が多様化し、豊かになる」というものもその類なのではないかと思います。 

 


 さて。これらに比べてさらに予測力や普遍性は低くなりますが、教育学にもそういった理論は無数にあり、絶えず作り出されています。

 ただ、先ほども触れたように教育には不確定要素が多く、「これをやっておけば全てうまくいく」みたいな理論は今のところ見当たりません。でもまあ、妥当性が高そうなものを試していこうっていうのが、教育界の理論の使われ方なのかなって思います。

 この理論の使われ方について、ちょっと深ぼっていきたいと思うのです。まず教育理論が生み出されるのは大学です。(ある意味現場とも言えるかもしれないけど)

 そしてそれが学習指導要領に使われ、さらに教科書になり、それがさらに指導書になります。

 つまりどういうことかというと、理論は生まれた状態からだいぶ薄まって、なんなら他の理論とも混ざりながら現場に降りてくるというわけです。
 
 そんなこんなで、希釈されたかつ超具体的なものとして教師に手渡された理論ですが、これがすごいんです。やっぱり頭がいい人たちが大元を考えているだけあって、それをそのまんま使うだけである程度、どんな人でも授業をすることができます。

 でも・・・教員の中には降りてきた超具体的なものを見て、「なんで?」「意味わからん」「絶対こうしたほうがいい」って思っちゃう面倒臭い奴もいるのです。素直に降りてきたものをやればいいのに、それに納得できず要らんアレンジを加えたがる奴がいるんです。

 そう。僕みたいな奴です。

 僕は昔から自分が納得できないと行動できない人です。「行動しない」のではなく、「行動できない」んです。意図が分からず指示されたことをやろうとすると悉くミスをしまくります。だからバイトとかではまじで使えない奴でした。

 それは先生になってからも同様で、「〜しなさい」って言われても、その奥の理由まで考えて、それが理解、もしくは納得できなかったら再現しようと思っても頭や体が動いてくれないのです。

 じゃあそんな僕はどうしたら良いか?

 理論を学ぶしかありません。納得できないなら、納得できるように理論を学ぶしかないのです。

 こうして理論を学ぶことになった僕ですが、まあこの世界が泥沼で。理論の上にはさらにそれの大元になる理論があるため、学ぼうと思ったらいくら時間があっても足りません。

 (2年目の時なんか算数の研究授業の内容考えて本を読んでたら、いつの間にか哲学の本にまで辿り着いてましたからね・・・。びっくりしました。)

 これが理論に呪われていると思った所以です。

 



 ただ。理論を学ぶと良いこともあります。それは、目の前の<具体>に振り回されることがなくなることです。

 よく現場で見られるのが、「この間はアクティブラーニングで次は主体的・対話的で深い学びで今度は個別最適な学びかよ」という、新たな教育施策に翻弄される先生たちの姿です。

 ただ、僕は無駄にその上位の理論まで学んでいたので、それらが知識体系のどこに位置付いているかが見え、狙いとする大元は同じであることが分かりました。だからどんな施策がやってきても、納得して取り組むことができます。

 さらに目の前の<具体>に振り回されることがなくなると、授業作りの幅が広がります。

 例えば、自治体によっては「〜市スタンダード」みたいなものがあると思いますが、ああいうものはまさに理論を超希釈した超具体物、一つの手段に過ぎないので、それに捉われずに授業を考えることができます。

 だから授業作りに自由度があって「楽しい😀」って思えます(それがうまくいくとは別として)。


 
 そして、(自分がそうであるかは別として)理論に呪われている先生たちがこれまでも、そしてこれからも新たな教育方法を創造していく(きた)のだろうなって思います。

 研究好きな先生たちを理解できない人もいると思いますが、きっと”そういうこと”なんだと思います。




 上から降りてきた具体を確実に実行し、目の前の子供達のために貢献できる先生。上から降りてきた具体のさらに上、抽象を学び未来の教育を作ろうと試行錯誤する先生。どっちが偉いとか、すごいとかなく、どちらも大事な役割で、欠かせないのだと思います。
 
 多分僕は後者なので、この道で頑張っていけたらなって思います😀

 

 

 余談です。輝かしい未来を目指して上から降ってくる理論ばっかりじゃなくて、子供との関わりの中で、現場から生まれる理論もありますよね。
 
 こういうのを学ぶために、先輩から学びとることが大事なのだろうなって思います! 

 

 

 

 

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