「最近の若者は・・・」←今の若者を育てたのは誰だ?
よくある若者批判を見ていきます。
・・・なんともまあ、痛烈なものばかりですが、これらの若者批判に対して、1人の若者としてこう問い返させてください。
じゃあ、そんな僕たちを育てたのは誰?
と。
誰かと言われれば、今まさに若者を批判している、大人達です。親や教師、上司達です。もし、今の若者を批判するのであればそれは同時に自分たちの行った教育の責任を問うことにもなるのだと思います。「自分たちの教育が失敗だった」と。
ただ、僕自身は今まで受けてきた教育が失敗だったなんて思っていません。若者に施してくれた教育のおかげで社会が良くなっている面もあると考えています。
ここで僕は以下のような仮説を提示したいのです。
以上に挙げたような若者の姿は、教育に失敗した姿なのではなく、むしろ大人達の願いが具現化した姿なのではないかと。
自分でも着地点の見えない仮説ではありますが、これをテーマに今回は記事にしていきたいと思います。
それではよろしくお願いします!!
先ほどあげた若者の姿を見ると、これまでの社会の課題が見え隠れしているのが分かります。(👉は社会的を取り巻くものの影響だと考えられるもの)
※見方の例
表記 1 忍耐力がない →「24時間働けますか」などの無理が蔓延っている 意味 『24時間働けますか』などの無理が蔓延っているという課題があったから、忍耐力のない若者を育てた。」
かなり極端な若者の姿として出てしまっているものが多いですが、一応これらの変化は以前の社会の課題を正しく踏まえた教育による結果にはなっているのではないでしょうか。
これらの課題はきっと、今の大人世代が課題であると感じていたことであり、社会をより良いものにしようと若者世代に託した願いであったはずです。
その結果、上記のような今の若者が生まれました。悪いところばかりが目立っていますが、
・若者があまり仕事を重視しなくなったことにより、働き方を改める企業が出てきた
・若者がパワハラやセクハラに敏感になったことにより、理不尽なパワハラやセクハラなどが減ってきた
っていうのも事実であり、皆さんが育ててくださった若者は決して悪い効果ばかりをもたらしているわけではないのだと思います。
もちろん、今の社会にはた〜〜〜〜くさんの課題があります。だから、そんな課題を解決するために今度は今の大人達が次の世代に願いを託す番なのだと考えます!
・・・世の中の課題を解決しようと、大人が課題を踏まえた教育を施した結果、その人達が社会人になった時に大人が困るっていうのはなんとも皮肉ですよね。
多分僕も今教えている子供達が大人になった時に、「最近の若者達は💢」ってなるんでしょうね。自分が育てたのにも関わらず。
でも、このような現象は紀元前2000年からあったらしいですから、もはや「人類あるある」だし、「教育ってそんなもん」なんでしょうね。
「人類あるある」だと思えば、笑って乗り越えられそうです😀
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?