え?「個別最適な学び」「自由進度学習」ってただのトレンドなの?いつかされなくなるの?
え??そうなんですか??💦
そんな懸念を抱くようになったきっかけを説明させてください。最近いろんな自治体の先生とお話する機会がありました。その中で、
「また新しい”学び”が出てきたなあ・・・。前の”学び”も達成できてないのに・・・。」
という話題になりました。僕は「へえ〜そうなんだあ」と思いながら聞いていましたが、何となくその言葉がずっと頭にこびりついていました。
時系列は変わって、先日。学校教育型Youtubeを視聴していました。内容はいま流行りの「自由進度学習」について。僕は自由進度学習についてみんなはどう思っているんだろうと思い、コメント欄を見てみました。
予想通り、賛成・反対意見半々でした。「まあそうだろうな」と思いつつ読んでいるとその中で気になるコメントが見えました。
「自由進度学習なんてどうせされなくなる」
そして、同系統のコメントも多数されていることに気づきました。
「どうせ個別最適な学びなんて言われなくなる。主体的・対話的で深い学びも実現できてないじゃないか」
「どうせ自由進度学習なんてされなくなるから、一斉授業を極めた方が良い」
「個別最適な学び、協働的な学び、自由進度学習・・・どれだけのことをさせるつもりだ」
「今までも色んな”学び”が出てきて、されなくなってきたじゃないか」
僕はこれらのコメント、そして他の自治体の先生のお話を思い出して、
え??まじ???されなくなるの??😢めっちゃ勉強してたんだけど??
と半べそかきそうになってしまいました。というのも僕はまだ3年目。これまで出てきた「〜な学び」みたいなトレンドワードが出てきては消え、出てきては消えるような一発屋芸人みたいなものだとは思ってなかったからです💦
僕は「個別最適な学び」「協働的な学び」という言葉を文科省が出しているから鵜呑みにしていたわけではありません。
自分の学びの体験と読書経験から「個別最適な学び」「協働的な学び」そしてそれを実現するための自由進度学習はすごく理にかなっていると考えていたので、なおさらショックでした。
ああ、結局僕がやっている研究はいつかされなくなってしまうのか・・・と悲しんでいたところで、先ほど挙げたコメント達に違和感を覚えました。
「どうせ個別最適な学びなんて言われなくなる。主体的・対話的で深い学びも実現できてないじゃないか」
「個別最適な学び、協働的な学び、自由進度学習・・・どれだけのことをさせるつもりだ」
特にこの二つです。みなさんどうですか?違和感ないですか?
どんな違和感があるかと言うと、「個別最適な学び」「主体的・対話的で深い学び」「自由進度学習」という言葉が横並びで語られている点です。
これらの三つの概念、全部概念レベルが違うものですよね?ピラミッド図を思い浮かべていただけますか?
この三つの中で言うと、一番下の土台に来るものが「主体的・対話的で深い学び」だと思います。そして二段目に来るのが「個別最適な学び」、そして一番上に来るのが「自由進度学習」なのではないでしょうか?
つまり、主体的・対話的で深い学びを実現するための手段の一つが個別最適な学び、個別最適な学びを実現するための手段の一つが自由進度学習、というような関係だと言えます。
これらのコメントを見て、とある仮説が浮かびました。
「もしかして、先生方の中にはこういったトレンドワードを個別のものとして捉えていらっしゃる方もいるのではないか?」
という仮説です。
もしそうなのだとしたら、そりゃあ「またやり方変わるのかよ」「どうせすぐ消える」ってなりますよね。
っていうか、実際こういったトレンドワードに全く関連性がない可能性もあります。まずはそこを検討しましょうか。
というわけで、この記事の進め方を見通します。まずは、過去に言われていたトレンドワード達に関連性はあるのかを、相棒(chatGPT)と共に検証します。次に、本当に自由進度学習は本当に消えるのかを考察します。最後に今後の教育の動向を自分なりに予測し、この記事を終えることとします。
それではよろしくお願いします!!☺️
ふむふむ・・・。確かに大学でこんなことを勉強しました。じゃあ、今度はこれらに関連性があるかを聞いてみましょう。
やはり関連性はあると言えそうです。むしろ、今から行われようとしている「個別最適な学び」「協働的な学び」を実現するために「ICT活用」や「アクティブラーニング」が叫ばれたとも言えるかもしれません。全ては布石だったと(行き当たりばったりの可能性も十分ありますが笑)。
だから、「またやり方変わるのかよ」ではなく、「また進化するのか✨」という受け止め方の方が妥当な気がします。
では、自由進度学習は消えるのでしょうか??
僕は、どちらとも言えないと考えます。というのも、自由進度学習は先ほど述べたピラミッド図で言えば下位概念であるためです。ある意味自由進度学習っていいうのは小手先のものであると言えます。
極端な話、「個別最適な学び」と「協働的な学び」が一体的に充実できるのであれば、すべての授業が一斉授業でもいいわけです。
さらに言えば、もっと上位概念である「主体的・対話的で深い学び」が実現できるのであれば「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実しなくても良いわけです。
でも現実として、一斉授業だけではそれは厳しかった。「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が図れる、あくまで一つの可能性として、今自由進度学習が脚光を浴びているのではないでしょうか?
なので自由進度学習自体は消えるかもしれませんが、その上位概念である「個別最適な学び」と「協働的な学び」の充実という方向性は比較的消えづらいでしょうし、さらにその上位概念である「主体的・対話的で深い学び」はさらに消えずらいと言えるのではないでしょうか??
では最後に今後の学校教育の動向を僕なりに予想していきます。
恐らく、今後も文科省は「個別最適な学び」と「協働的な学び」という方向性をずっと示してくるでしょう。
そして、その実現の可能性がある自由進度学習もしばらく奨励されることでしょう。
しかし、そこに現場がついていくかと言われれば話は別です。
何たって現場が納得していないんですから。
「またやり方変わるのかよ」「どうせすぐ消える」って思っているくらいですよ?文科省の意図全然理解してないですからね?
こう書くと現場の先生達が馬鹿みたいに思われるかもしれませんが、それは決して違います。先生達はそんなことも理解できないほど馬鹿じゃありません。ただ「理解しようとしていない」だけなのだと思います。
現場にはもっと解決してほしい問題がたくさんある。なのに文科省はそれを曖昧にして、どんどん要求を出してくる。それらの要求が思いつきなものではなく、しっかりと練られたものだとしても、現場が解決してほしい問題を解決する方向性を示してくれない限り、先生達は聞く耳を持たないでしょう。
・・・とはいえ。ここに僕を含めた現場の先生の主体性の低さが垣間見えるわけです。「文科省なんとかしろ!」という受け身な態度で自分たちは全然変わろうとしない。やり方を変えてまで、業務の効率化など図ろうとしない。誰かが何かを変えてくれるのを待っている。こんな状態が見えます。(現場の人間として言い訳させてもらうなら、実際現場レベルで解決できないことだらけになっているので無理もないですよね!)(言い訳してすいません😢)。
なので、文科省と現場ともに意識を変えていく必要があるのかなって思います。
文科省をはじめとした行政は、理想の教育を実現するために、まず現場で対処できない学校の課題を解決するよう努力すること。
現場は、現場レベルで対処できる学校の課題に対処すること。そして、その上で文科省の施策について聞く耳をもつこと。
どっちが先とかじゃなくて、お互い同時に歩み寄ることが硬直しがちな学校現場を動かす最短ルートなのではないでしょうか??
まとめます。今後の学校教育の動向予想としては、
行政と現場の態度がこのまま変わらなければ、現場も大きくは変わらない。逆に、両者が主体性を発揮し、歩み寄ろうとすれば現場は大きく変わる。
ってことになるのかなって個人的には思います(全然予想とは言えないふわっとしたものですが。結論つまんないですね涙)
見えないものですが、主体性って本当に大事だと思います。全員が自分ごととして捉えた時に初めて何かが変わるんでしょうね!
最後に一言
行政と現場って仲間じゃないですか〜〜😢
協力していきましょ〜〜✨
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