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自分探しの旅を終えて気付いた孤独の正体 <失敗版>


この秋休みは、謎の孤独感を解消するための自分探しの期間となりました。居場所を求めて県外で開催される学会に行き、これまた大学時代の先輩の結婚式に行って旧友たちと再会してきました。

自分探しの旅を終え、帰路の電車の中でこの記事を書いています。

では、この旅で自分の居場所は見つかったのか?


答えは否です。



その代わりに自分探しをしていたこと自体が間違っていたことに気付きました。僕に付き纏っていた孤独感はひとえに僕の自意識過剰から生まれたものであるとよく分かりました。

このことに気づいた経緯を語る記事にしたいと思います。




このような章立てで、記事を進めていきます。


それではよろしくお願いします!

1 孤独を感じる日々〜自分と他の人は違う〜

 僕は他の人とは違う。そう感じていました。

 


 理想を生きる僕と現実を生きるみんな。

 抽象を扱うことを好む僕と具体を好むみんな。

 知識で刃を研ごうとする僕と経験で育つみんな。

自分の成長を第一とする僕と子供が育つことを第一とするみんな。

自分の納得のために仕事している僕と、他者貢献のために仕事をしているみんな。

 

自分を、場違いなところに迷い込んだ異物のように感じていました。



2 居場所を求めて学会へ〜ここも僕の居場所じゃない〜

現場に居場所を見出せない僕は、半ば縋るような気持ちとともに、居場所を求めて学会へ行きました。

すると不思議なことが起こります。学会の人たちに対して、現場で感じていた、「自分とみんなの違い」とは逆の形となって僕の前に現れたのです。


現実を生きる僕と理想を生きるみんな

具体を好む僕と抽象を好むみんな

経験で育つ僕と知識で刃を研ごうとするみんな

子どもが育つことを第一にする僕と自分(理論)が育つことを第一とするみんな

他者貢献のために仕事をしている僕と自分の納得のために仕事をしているみんな。


どちらにせよ僕とみんなが違うのは一緒なので、ここにも自分の居場所はないと感じました。



3 一人になりたくて温泉へ 〜孤独を生み出していたのが自分であることに気づく〜

学会を後にし、結婚式のある県へ移動しました。

結婚式を終え、二次会まで時間があるので僕は旧友たちと離れ、考えごとをするために一人で温泉に行くことにしました。

考えるテーマは、現場から学会に場を変えたことによって起こった、「僕とみんなの違い」の反転です。

 現場にいても、学会にいても違いが生まれる。そして、その違いは全く逆の性質のものである。場が変わり、違いの性質が変わる。唯一変わらないのはみんなと僕の間には違いがあると僕が感じているという事実。


とういうことは、、、、



「僕とみんなの違い」を生み出しているのは、僕自身ということになります。

ここで気付きました。勝手に他人と自分の間に線を引き、孤独を生み出しているのは僕の性質なんかじゃなくて、僕の意思そのものだということに。

僕は何かしらの目的のために孤独という感情を生み出していたのです。


4 友人noterさんの指摘と旧友の言葉〜みんなは普通で僕だけが特別だと思いたかっただけ〜

「僕は何かしらの目的のために孤独という感情を生み出している」

このことに気づいて、まず思い出したのが友人noterさんの言葉。「(あなたは)普通だと思うけどなぁ」「 若さ特有のかまってちゃんじゃない?」

これを言われた当初は、いやそうじゃないと思いましたが、やっぱりそうなのかもしれないと思いました。

試しに、近くにいた旧友に聞いてみました。「自分のこと変だと思う?」と。すると、

「変だと思う。他の人が考えないようなこと考えたりするし。でも、その変さを周りに受け入れられているから個性として、自分の良さだと思っている」

僕同様に自分を変だと感じ、それを誇りに思っているという趣旨の返答を聞いて確信しました。表出の違いはあれど、僕も彼同様「違い」に誇りをもっていることに。、、

僕は「他の人は普通で僕だけが特別だ」と思いたかっただけなのだろうなと思いました。この強力な自意識過剰が、他人との違いを見つけ出す目を養い、他人との間に線を引き、孤独という感情を生み出していたのでしょうね。

孤独という感情を味わうことで「自分は特別だ」と思いたかったのかもしれません。


5 この気づきをどう生かすか〜誰もが自分を変わったやつ=特別な存在だと信じたいのだ〜


どう生かしたいかは二つあります。

一つ目は、周りを自分とは相対的に没個性的な存在として見るのではなく、僕同様に「自分は特別な存在だ」と思いたい、個性的な他者だと見て、個性的なところを見つけ、尊重していこうということです。

僕は周りの人を尊敬しているつもりだったし、違いを受け入れる力が高いと思っていました。

でも、中身は全然違いました。周りを没個性的な存在として見るという、最低なことをしていたのです。

これに反省して、積極的に個性を探し、伝え、認めていく発言をしていきたいと思います。


二つ目は、それでも社会的に見た特別な存在を目指していこうということです。

今回の物理的でもあり思索的な自分探しの旅の中で、結果的に自分と他者の違いを具体的に知ることができました。

これらの違いが僕の個性であり、これを伸ばすことが自分を特別な存在にしてくれるはずです。

先ほどは「特別な存在になりたい」という感情は悪というように扱いましたが、それは僕のようにそれによって他者を没個性的な存在と見做した時のみです。

特別な存在になることで、自分にしか生み出せない価値を生み出すことができ、結果的に周りに貢献できるはずです。

 1番最悪なのは、自分が特別であることを演出したくて生み出した孤独に負けて、個性を伸ばすことを諦めることです。

それは、、、バカじゃないですか?





そして予定していなかった三つ目です。


多分多くの人が

自分が特別であることを演出したくて生み出した孤独に負けて、個性を伸ばすことを諦めるという馬鹿なことをしています。

ここで諦めるか諦めないかが、いわゆる社会的に特別な存在になれるかどうかの分岐点だと思うんですよね。

みんなが一様に特別なのに、一見没個性的に見えるのは、恐らく自分の個性を言語化できてないからでしょう。

だから僕はその人に隠れた個性を見つけ出し、








いや・・・違う・・・。どこかから論が崩れてる・・・。僕が到達したかった答えはここじゃありません。

また考え直して投稿します。


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