附属小の先生が学級崩壊??
勉強をしに、附属小の1年生の授業を見にいきました。そこで行われていた授業を見て、
「あれ??大丈夫かな??」
と思う場面が何度もありました。
自由なことを発言し、どんどんテンションが上がっていく子ども達。しまいには、離席する児童までできました。
授業が終わり、別の学年の授業を見に行っていた同期に「どうだった?」と聞いてみました。すると、僕が見ていた授業と同じような自由な状態だったようでした。
「附属小の先生方のような研究熱心な先生の学級がこのような状態に陥っているのはなんでだろう??」
一瞬だけそう思いましたが、実は授業を見ている時点で感じたことがありました。感覚的なことになるのですが、
「あ・・・この先生は探ってらっしゃるな・・・。”子どもが伸び伸びできる雰囲気と授業が成立しなくなる雰囲気の狭間”を。」
ということを感じました。
実際にそうだったかは分かりません。でも、そこの狭間を探りながら、子どもが伸び伸びとしている学習集団を作り上げていくのが非常にうまい先生=授業が上手い先生というのは小学校教員であれば、ほとんどの人がもっている感覚だと思います。
附属先生の先生はきっと、そこを探りながら学級を作っていく最中だったのだと思います。ましてや1年生です。学級作りの序盤も序盤でしょう。
その先生は、子どもらしい、しなやかさを残しながら授業をしたいという思いがあるんだろうなあって感じました。(実際に授業の構成自体はすげえなあ!って思わされました!)。
ここでこのような問いが生まれます。
「授業が上手い先生は、どうしてリスキーなことをしてまで子供らしさにこだわるのか?」
という問いです。
今回はこの問いについて考えていきたいと思います。それでは、よろしくお願いします!!
まずは、授業が上手い先生にはどんな先生が多いのか、その人格的な部分からアプローチを試みます。
授業が上手い先生は、多くの場合自分自身が優れた学習者であることが多いです。知的好奇心が旺盛で、「仮説を立てる」「実験する」「評価する」「行動する」というPDCAサイクルをずっと回し続けるような方が多い印象です。要するに、学ぶこと自体が好きなのです。
じゃあ、こういった学ぶこと自体が好きな先生方は子どもが学ぶことについてどう捉えているのでしょうか。
これは本人達にしかわからないので、授業はド下手ですが学ぶことは大好きな僕をサンプルに考えさせてください笑
おそらく・・・っていうか僕だったら、自分が学ぶことが好きなので子どもにも学ぶことを好きになってほしいと考えます。自分が好きだから(できれば)相手にも好きになって欲しいというのは人間誰しももつ気持ちですよね。
なので、授業が上手い先生は恐らく、子どもに学ぶことが好きになってほしい、少なくとも学ぶことが嫌いになってほしくないと思って授業をしていると考えられます。
そして、このような先生は学ぶことが大好きですから、学びの何が楽しいのかを熟知しています。それらを言語化できているのです。
だから、真に楽しい学びが「誰かの指示で始まったり」「急に何かの音で終わったり」「静かに我慢する時間が長かったり」「我慢する待ちの時間が長かったり」「誰かに合わせたり」するものではないということがわかっているのでしょう。
真に楽しい学びとは、「内から湧き出てきて」「何時間でも没頭できて」「思わず叫んだり呟いたりしてしまって」「自分でどんどん先にいきたくなる」ものだということがわかっているのでしょう。
それ故に、学習者のこのようなしなやかさ、自由さ、言い換えると子供っぽさを重視した学習集団づくりを目指されているのではないでしょうか。
結論です。「授業が上手い先生は、どうしてリスキーなことをしてまで子供らしさにこだわるのか?」
それは、授業が上手い先生は学びの楽しさを知っている。そして、その学びがしなやかなものであることを知っている。授業が上手い先生は、子どもに勉強を好きになって欲しいから、しなやかな学び=子どもらしさを残した学びに拘る。
ということなのではないでしょうか。
とはいえ、一人で30人も40人も見るわけですから、ある程度管理しなきゃいけないところが出てきます。
よって、”子どもが伸び伸びできる雰囲気と授業が成立しなくなる雰囲気の狭間”を見極めていくようにして、学習集団を作る必要があるのでしょうね。
僕はこの見極めがまだ難しく、学習集団が成立しなくなるというミスを何度も繰り返してきました。
でもそれは、子どもに学びを好きになって欲しいという思いという気持ちから来ているということに、附属小に行って気づきました。
「それって、お前のエゴじゃん。寿司嫌いな奴に寿司を好きにさせようとしているのと同じじゃん」
そう言われるかもしれません。もしかしたら、そうかもしれません。
でも学びって、受験や仕事の手段、なんなら人生を豊かにする手段でもなくて、人生の目的にすらなり得ると個人的に思っています。人間はその構造上、学びが好きなはずなんです。
そんな学びを、僕が嫌いにさせ、人生の楽しさを減じさる一因となっているならば、それほど申し訳ないことはありません。だから、僕は子どもが子どもらしく学べる授業のあり方を探っていきたいです。
方向性は間違ってないと信じています。あとは技術の問題です。今後も精進していきます!!