なぜ僕の残業は無くならなかったのか?2種類の「複雑さ」を考える。
これは僕が意識高い系のサラリーマンだったころのお話。
僕は毎日のように深夜残業に勤しんでいた。いや、僕だけではない。上司を含む、僕の所属するチームメンバーのほとんどが残業していた。
皆が「残業を減らしたい」と願っていた。当然ながら残業を減らすための取り組みが多く行われた。しかし、残念ながら残業が減ることはなく、むしろ増える一方だった。
なぜだろうか?
皆が無能だったのだろうか?
それとも気合が足りなかった?
もちろんどれも違う。そして今ならその答えがわかる。問題解決のためのアプローチが間違っていたのだ。
僕たちが悩まされていたのは「動的な複雑さ」だったにも関わらず、「詳細的な複雑さ」に対してのアプローチばかりを試していた。だから根本解決に至ることがなかった。
「詳細的な複雑さ」と「動的な複雑さ」
複雑な計算式、複雑な手順、これらは個人の努力やツールによって解決することができる。これの複雑さは奥行きが複雑な「詳細的な複雑さ」に分類される。
一方で、「動的な複雑さ」は間口が広い複雑さだ。チームで情報共有しながら行う業務のように、大人数で要因を共有している複雑さが該当する。
この両者の「複雑さ」は実は全くの別物だ。もちろん、対応方法も異なる。
にもかかわらず、複雑な問題にぶつかったとき、多くは前者を解決するためのアプローチがとられがち。そのほうが手を付けやすいし、手っ取り早く効果が得られるからだ。
実際に僕たちが試していたのは、「より便利なツールを活用しよう!」とか「もっと効率のよく業務を捌く方法を考えよう!」といったものだった。
Excelマクロを活用するとか、BIツールを駆使するとか、Excelショートカットキーを使うとか、デスクトップを整理するとか、それらの延長上の手法だ。
これらにも一定の効果はあった。ただし、根本的に残業問題を解決するには至らなかった。効果があったのは自分自身の周辺業務だけだった。
もしチームメンバー全員が定時退社しているのにもかかわらず、僕だけが深夜残業しているのであれば、これらの手法は効果的だっただろう。残業は僕の業務処理だけにとどまっていたからだ。
しかし、そうではなかった。冒頭のようにチーム全員が深夜残業をしていた。しかも全員が優秀とされるメンバーだ。問題は個人の業務処理能力ではなく、チーム間の連携や業務量そのものにあったことは言うまでもない。
道路渋滞が起こる理由にヒントあり
喩えるならば、車が渋滞を起こすような状態だったといえる。
それぞれの車は高速で動くスペックを有している。個体差はあるだろうが、どれも優秀であることには変わりない。
そんな優秀なスペックを持つ車が渋滞を起こす理由は、「制約」が存在するからだ。道幅が狭い箇所があるとか、急な坂があるとか、先頭の車が故障したなどの類いの理由だ。
この「制約」を取り除くことでしか、真の問題を解決することができない。
難しいのは、これらの「制約」は一見して見えづらいということだ。多くの人物、要素、行動と心理が絡み合い、一見しては「制約」とは判断しづらいことがほとんどだからだ。
「動的な複雑さ」の解消には時間がかかる。「動的な複雑さ」に潜む「制約」の追求は、業務全体像を理解なしには取り除けない。解決のためには関係者の調整やルールの変更が必要な場合も多い。要するに面倒なのだ。
だから「動的な複雑さ」への対応は遅れるし、放置もされがち。僕の残業がなくならなかった理由はここにある。
余談
僕らの残業がなくならなかった理由であるが、おそらくそれは「承認プロセス」の問題であったと考えている。
当時、多くのプロジェクトが同時進行しており、幹部職の方々が並行でプロジェクトを統括していた。
プロジェクトは幹部承認がなければ次のステップに進むことができず、そのため幹部職は統括プロジェクトのほとんどの会議に出席していた。そのため一日の大半を会議に費やしていた。
一般社員の僕たちは、統括幹部に相談したいことがたくさんあったが、相談しようにも幹部がいないという状況が続いた。その結果、未完了のプロジェクトだけが重なっていったというのが真因だったように思う。
言うまでもなく、幹部職の方々の個人スペックは超優秀だった。にもかかわらず、いや、だからこそ「制約」となりうる。そのことを経験を通じて学んだ。
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『The Fifth Discipline』(邦題:『学習する組織』)
Peter M. Senge
「2種類の複雑さ」については本書で紹介されていたのですが、最初に読んだときは衝撃でしたね。これまで自分が悩んでいた事象にも、正しい「名前」があったのだと。
病名がわかれば、治療法がわかる。ということを身をもって感じました。