10/学校教育のたったひとつの役割
ツイッターで#いぐちの1日1ポエムと称して、日々の気付きを投稿しています。その「ポエム」の意図などを、備忘録的な意味と、共感してくださるひとがいたらいいな、という目的で書き残していきます。はじめたきっかけなどはこちら
どうさいきん?微分積分やってる?古文漢文読んでる?
学生のとき、なんの意味があるんだろうか?と思いながら、目のまえに迫る定期テストや、その先の受験という壁を乗り越えるためだけにやっていた学校での勉強。
正直、いまのいままで直接に役に立ったことはあまりない。そんな人はたくさんいると思います。もっと将来に活用できるスキルや職能に近いことを学ぶべきだ、という議論もあります。
ぼくは教育大学の出身ということもあり、この学校における勉強、大学における一般教養の意味をよく考えていました。
いつかわが子から「勉強する意味あるの?」とか言われたときのために。
そりゃもちろん、論理思考の獲得とか、成功・失敗体験とか課題設定力とか、ミクロにはいろいろあると思いますよ。でもなんか、もっとバシッと決まる一言に集約したくなるじゃないですか。かっこいいし。
ぼくがいままで用意していた答えは、「わかったほうが豊か」というものでした。
あの英語で書いている店の名前の意味がわかればどんな店か想像できるし、歴史を知っていれば、旅行で訪れる楽しみも増える(幕末史を勉強して行く京都とかきっと楽しい)。人生を豊かにするものとして、勉強とか教育を捉えてました。
でも最近の答えは少し変わりました。それは「あらゆる事象が、じぶんが勉強した先にぶら下がっている」と信じられることが重要なんだと思うのです。
よくわかんない統計の話も、あるいは畑違いな建築の話も、じつは数学や物理の先にぶらさがっていると思えればすこし親近感が持てる。なんとなくでも哲学を学べば、これまたなんとなく心理学のアウトラインが見えてくる、といったように。こうしてわかろうとする意思が生まれるんだと思います。そしてもうすこし勉強すればわかるかも、できるかもって思えるからチャレンジできる。ここに学校における勉強の意味があると思うのです。
おわりに
それって基礎能力のことでしょ?って言われたら、それはもちろんそうなんですが、それを体得することによって得られるより高次な精神的なものをイメージしてます。自己効力感と言うのでしょうか。この世界はじぶんと地つづきだ、と感じられることは、いろんな面でプラスの影響を与えてくれる、そう信じています。(他者理解とかもこの延長上だと思ってる)だから無意味だと一見思ってしまう勉強も、ちゃんとやらなきゃね、と思ってます。