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マーケティング以前の課題

娘と遊ぶ時はよく「ごっこ」遊びをします。

この「ごっこ」とは、調べてみると

ごっこ遊び(ごっこあそび、英語: Make believe)はこどもの遊びの一種で、何かになったつもりになって遊ぶものである。子供の遊びのうちで普遍的に見られる様式の一つだが、子供が興味や関心を抱く対象を模倣することで行なわれる。

つまり、「何かになったつもりで遊ぶもの」です。

この「なったつもり」ということにポイントがあり、

模倣の域を達しないところに、遊びの範囲があります。

ビジネスの場においては、日々会議等を繰り返すなかで

「なったつもり」になっていないか?と考えることがあります。

それは、「現場の実態に即した内容になっているのか?」と疑問に思うことがあるのです。

会議での発言においても、内容があさっての方向であったり、

言葉の端々が無責任な発言になっていないかよく噛み締める必要があります。

その折に、面白いタイトルの本と出会いました。

本ブログでは、『戦略ごっこ―マーケティング以前の問題/芹澤連(著)』より引用し、議論で大切なポイントをまとめ、これからのマーケティングに大切なことについて考えを深めていきたいと思います。

■ 机上を脱しない議論

学問で習う経営学は、果たして実際の経営に役に立つのでしょうか?

たくさんのエビデンスがあり、

そこから派生したフレームワークも積み上げられています。

しかし、その手法は絶対的にビジネスを成功に導いてはくれません。

ちゃんとした根拠を説明できないなら、いくらもっともらしいことを言っても結局は「個人の感想」の域を出ないということです。
この「知る/思う」の区別はマーケターにとっても重要です。
例えばマーケティングではよく「打ち手の効果」が議論になります。
特にプロモーション後の売上があまりリフトしなかったときなどは、「本当に効果があったのか」と紛糾しがちです。
しかし、実は効果が低いことが問題なのではなく、「エビデンス的に効果がない打ち手に効果があると思い込んで、あれこれ議論していること」のほうが本質的なイシューだった、ということがよくあります。

『戦略ごっこ―マーケティング以前の問題/芹澤連(著)』

本書の思い込みは、組織で働く人は一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

エビデンス自体がずれていて、議論が目的となっていないでしょうか?

■ エビデンスを提示するより複雑なもの

実際、本業ではクライアントの個別具体的な課題において、「エビデンスに基づく事業成長」を推進しているわけですが、やはり最大の難所は「人」です。つまり、「しがらみと思い込み、経験則と自尊心が複雑に絡み合った組織の意思決定の中に、どのようにしてエビデンスベースの考え方を溶け込ませていくか」という所が最大のポイントです。

『戦略ごっこ―マーケティング以前の問題/芹澤連(著)』

この本は500ページが、今までのマーケティング手法やフレームワークに対して、意義を投げかけています。

それでは、何がマーケティングを困難にさせているのでしょうか?

それは「人」であると本書は伝えています。

500ページに及ぶフレームワークも、最終的には人の問題でうまくいくかどうかは決まるといっても過言ではありません。

今回の最も大きな気づきは、「人の心を読む」ということでした。

■ 行動宣言:人の心を讀む

それでは、どのようにして人の心を読むのか?

この点についてはエビデンスというものはありません。

自身の気づきが積み重なり、洗練されていくことでしょう。

私の祖父は、事業家としての教えを説き書として残してくれました。

10ヶ条ある教えのうち、冒頭に書かれているのは人の心の読み方です。

『讀み書き百遍人の心を讀め』

祖父の言葉 示「さししめす」

1、毎月読書20冊を続けます。

2、毎日のペン字練習を続けます。

今の私にとって、祖父の言葉は大きな財産といえます。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

これからも学びを共有していきます。

近くの公園の桜 4月

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