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茶道教室の初釜に参加しました
茶道を習い始めて1年程度が経過しました。
昨年は参加できなかった、初釜のお稽古に参加することができました。
本ブログでは、「初釜」という儀式についてまとめ、
行動宣言していきたいと思います。
#千家
まず、私が加盟している茶道教室は、「表千家」です。
表千家とは、茶道の流派です。
私は、茶道を習う際に出会った先生が表千家だったためその流派に所属しています。
「習おう!」と思った時には、流派など知らずに参加したのであって、
ご縁により流派も決められるとは、なんと運命的なものを感じます。
茶道は所作が流派により変わり、お手前や提供の仕方も変わります。
今回は私の通う茶道教室で行われた「初釜」について紹介します。
#初釜とは何か?
主に、1年の始まりとしての行事であり、1年の稽古始めです。
初釜は「年が明けて初めて釜に火を入れる」というとこから来ているようです。
初釜(はつがま)とは、茶道において新年最初に行われる茶会のことです。通常、1月に開催されることが多く、茶道の一年の始まりを祝う重要な行事とされています。「釜」という名前は、お茶を点てる際に使用する「茶釜」から来ています。
また、設(しつら)いも特徴的であり、
最も驚いたことは台子(だいす)と呼ばれる棗(なつめ)や水差しが置いてある棚には、注連飾り(しめかざり)がしてあります。
また、床間には柳木が飾ってあり、床の間にも季節感が漂います。
新年にふさわしい設いにより、新しい気持ちで稽古に取り組むことができます。
#初釜の展開過程
初釜に参加して感じたことは、
「長い・・・」ということです。
下記に初釜の流れを記します。
9:00 初釜の準備
10:00 献茶
10:30 炭手前
10:50 濃茶
11:30 薄茶
終わった頃には、12時30分を超していました。
かれこれ3時間30分ほど、茶事が行われました。
その余白に、お客様と話を交わす時間があり、
あっという間の時間でした。
その間は一時もスマホに触れることなく過ごすことができました。
2時間の映画も遠慮する現代人にとって、このような時間を過ごすことはあまりなく、とても贅沢な時間だと感じました。
表千家では茶室のことを「市中の山居」と呼ぶことがあります。
物理的には俗世と接近していながら、精神的には距離をおくことができる場所
それが茶室であると深く感じることができました。
#伝統文化を守ることで大切なこと
今回、初釜という儀式について感じたことを共有します。
稽古に参加して最も感じたことは、お金と時間がかかることです。
初釜に参加するにも、準備から片付けまで半日程度の時間がかかります。
現役世代の働き盛りの社会人に、その時間を作ることは難しく、
金銭的にも稽古を続けることすら難しいことがわかりました。
生産性・効率化という言葉が溢れる現代において、
インターネットやスマホほど、瞬時に欲を満たしてくれるものはありません。
一方で、人間の営みということを重んじた時に、「それでいいのだろか?」と感じてしまいます。
何百年も前の茶人たちは、何を美しく感じていたのか?
日本に古くから伝わる「おもてなし」とは何だろうか?
そんなことに思い巡らせた時に、茶の湯の時間が何事にも代え難い贅沢な時間だと感じることができました。
#行動宣言
1、事業が発展した際には、文化的なことにお金を使う
2、薄茶を淹れることができるように茶道を続ける。
私はあえて、事業も習い事も分けることはしません。
茶道を行うことは事業にプラスになると感じているからです。
あるいは、「茶道」について学ぶことこそが、「人間の営み」について学ぶことであり、
「人間の営み」について学び、仕事に活かしていくことこそが、事業の本質だと考えています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これからも学びを共有していきます。