魂(たま)散歩12.5歩目。ヒジャブさんの人生の振り返り。
●ヒジャブさんの人生の振り返りについて
「私は、幼い頃から、自分以外の方の考えを読み、その人が求める答えを伝える、ということばかりしていました。そして、誰かに何かを求められるまま、その求められたことに応えるためだけに行動していました。なので、自分というものが一体どんなものなのか、よくわからないまま過ごしていたと思います」
「夫となった人のことは、愛情があったか、と言われるとなかったと思います。ただ、この人のおかげで私は広い世界を見ることが出来、自分だけでは決して経験できなかった体験もたくさんしました」
「夫…その人が、私には表面上綺麗な言葉で飾っていても、裏で何をしているのかは見えていましたし、知っていました。その人は私の前で取り繕うことがどういったことなのか、私の能力がどういったものなのか、『自分だけは違う』と思い込んでいるところがあったから、私はその人の命が枯れていくのを、知っていながらもその人の『自分だけは』を満たすために、ただ黙って見つめていたのです」
「最後に残った世話人の一人が、夫…その人の愛人であることはずっと知っていました。私には求められない『女性』というものを、あの女性は求められていた…それが、私には始めどういうことなのかよくわかりませんでした。始めこそあの女性は、私に対して様々な感情を抱いていましたが、私がその人とあの女性の関係性を気に留めていないことを知ると、あの女性から向けられる感情は、私を純粋に崇拝するものへと変わっていきました。それがあったため、私は人間に対して何か深い感情を抱かないことが、誰かの期待に応えることになることもある、ということを学んだのです」
「私の側で最後までいてくれた、もう一人の世話人の彼は、良くも悪くも真っすぐで私が唯一心を許せた相手だったと思います。夫が亡くなり、愛人だったあの女性が彼とともに私の世話を行ってくれたことには、今でも本当に嬉しかったし、ありがたいことだったと思いますが…彼が私ではなく、あの女性に思いを寄せ始めたのを知った時に、私は今までの私でいることが難しくなってしまったのです」
「私はその彼への感情、あの女性への感情を消すために色々なことをしましたが…結局その感情も私の一つである、ということを認めることが怖かっただけだったのだと思います。自分の中の感情を認めることで、私が神ではなく、人であることを突きつけられている、そんな気持ちになってしまっていたのでしょう」
「そう。私は結局人として生きて、人として死んだのです。生き神だと持て囃されて、そこにしがみついていたのは、自分自身だと知った時、私は自分が人に戻っても良い、この生き方を終わらせても良いとようやく自分自身に許すことが出来たのです」
……ということでした。
お話が終わった後、ヒジャブさんは、花柄がたくさんついた大きなショールをはためかせ、鈴のついたアンクレットをリズミカルに踏み鳴らしながら、嬉しそうに踊り、優しい声で歌いながら、光の中へ溶けていかれました。
スピリチュアルな世界で過ごしていると、周りから求められる以上に、自分自身の中に「理想的な聖人像」というのを描いてしまうことがあります。
それが良いのか悪いのかは、人それぞれだとは思いますが……
結局の所、イメージの大枠を周囲が作ったとしても、それを「自分のイメージだ。自分はこうなんだ」と認識し、そこに向かうよう行動するのも自分だし、最終的にはそこにしがみつくのも自分自身。
そして、それを止めても良い、と許してあげられるのも自分自身。
そういうことを教えてもらった気がする、そんな魂の出会いとなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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