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【小説】灰色の海に揺蕩う⑤

 タカサキやクラミチが率いるキラキラ女子たちへのあざみの対応は見事だった。
 甘ったるい声と、無邪気を装って発されるデリカシーの無い問いかけが出尽くすだけ待って発したのはたった一言。
「アンタたちに関係ある?」
 その言葉で、質問を一蹴した。
 そのまま、ぴたりと貝のように口を閉ざして無表情を貫いている。
 最初はあの手この手で気を引こうとしていたタカサキやクラミチだが、あまりの手応えの無さに小さな罵倒や舌打ちを残して引き下がっていった。
 あざみに対して行った嫌味な噂話もあてこすりもまるで無かったかのように切り替えて、いつものように、自分たちの机の周りにたむろっている。
 興味の対象は再び『フジコさん』に戻ったらしい。スマートフォンをのぞき込みながら「でた?」「でた?」と互いに顔を見合わせて囁きあっている。
 ――お見事。
 助けない、と宣言した通り事の成り行きを静観していた澄華は内心で拍手喝采だった。他人の急所を突く、癇に障る発言をすることについて、天才的な才能を発揮する彼女たちを相手に、あれだけ毅然とした態度を取れる能力は、中学二年生の女子にしては希有だ。
 あざみが『階級外』に位置づけられるのに、それほど時間は掛からないだろう。
 クラゲ仲間の誕生か。
 思いながら、澄華はキラキラ女子の集団の中に、サクラトウコの姿が見あたらないことに気が付いた。
 ふるさと学習のプリントは、とっくに完成している。内容さえ確認して貰えれば、いつでも提出できる代物だ。
 ぐるりと教室の中を見渡して、ぽっかりと空席になった机を見つける。サクラトウコは、どうやら今日、学校を休んだらしい。
 澄華は帰りがけに、クリアファイルに挟んだプリントをサクラトウコの机の中に滑り込ませた。確認が済んだら担任に提出してくれ、というメモと共に。

「なに? 死んでるの?」
 勝手知ったる玲の家に上がり込んで、いつものように入った玲の部屋。普段は澄華の定位置になっているシングルベッドの上で、亮が俯せになって倒れている。
 澄華の声に対しても、ぴくりとも反応しない。
 これは重傷だ。
 思いながら部屋の主に視線を向けると、玲がチラリとシングルベッドを見やりながら言う。
「瀕死」
「ヤバいじゃん。玲ちゃん、モンスターボールに戻してやりなよ」
「もう手持ちのポケモンいないんだよね、俺」
「逃げる?」
「逃げられない。トレーナーとの戦闘だから」
「ヤバいじゃん、死んだね」
「死ぬね」
「――二人とも、何の話してんの?」
 ようやくベッドから起きあがって、抗議の声を上げる亮の顔色はやっぱり冴えない。
「どうしたわけ? イジメにでもあった?」
「それ、スミの方じゃね?」
「わたしはイジメの対象にもならんから」
「どーなのよ、それ」
 呆れた玲の声を聞き流して、澄華は亮を見た。いつもは鬱陶しいぐらいに感情を伝えてくる瞳が、完全に濁っている。
「沙樹が部屋から出て来なくなってさ」
「へぇ」
「ふぅん」
 相槌を打つ澄華の声に熱は無い。亮の幼なじみとして、半分だけ血の繋がった亮の妹への評価が辛くなるのは致し方のないことだ。
 亮が疲れたように言葉を続ける。
「不登校? 引きこもり? みたいな」
「いや、まだそんなに日にち経って無いでしょ。思春期の女子なんて、一回は学校に来なくなるもんだから。そんなに心配しないでも良くない?」
 澄華の切って捨てるような返しに、亮が珍しく恨めしい顔をした。
「スミちゃん、学校休んだこと無いじゃん」
 亮の言葉に、玲までもが便乗する。
「雪で休校になっても学校行きたがる女に言われても、説得力無いから」
「玲ちゃん、どっちの味方さ。言っておくけど、あのクソ狭いアパートで、二十四時間ウチの母親と過ごすなんて拷問だからね。引きこもれる部屋があればわたしだって引きこもってたって。たぶん」
「多分かよ。説得力」
「うるさい」
 玲のツッコミを振り払うようにして、澄華は亮に向き直る。
「で? なんで、そんなに亮が落ち込んでんの?」
「別に、落ち込んではいないんだけど」
 そう言う声には覇気が無い。
「じゃあ、なに? うんざり? げんなり?」
「げっそり?」
 玲の言葉に、亮が頷いた。
「そう、げっそり。なんか疲れちゃってさぁ」
 そのまま、亮が仰向けなってベッドに倒れる。
「義父さんと、母さんがギクシャクしちゃってんの」
「なんで?」
「沙樹のことで」
「はぁん?」
「俺と沙樹を比べたことに対して、義父さんが怒ってさ」
「ははぁ」
「なるほど」
「母さんは母さんで、なんか泣くし。良く分かんない。ここ最近、二人とも口利かないんだよね。その癖、やけに母さん、俺に構うし。気持ち悪い」
 どうやら三隅家は負のスパイラルにはまり込んでいるらしい。澄華は玲と視線を合わせて肩を竦めた。こればかりは第三者にも、渦中の亮にも、どうにも出来ない問題だ。
 歪んだ形の家族形態を作って来たのは、他ならぬ亮の保護者二人である。そもそも、亮に対する取り扱いを容認して一緒に暮らせるような義父なのだ。人柄というのも、自然と知れる。
 歪みのツケが今になって噴出して来ただけなのだから、どんな形になろうと、それは「大人」に対処してもらうしか無い。巻き込まれる亮が不憫だが。
「離婚かなぁ」
 天井を見上げながらポツンと呟く亮に対して、玲が首を振った。
「そんなに簡単に別れられるもんじゃないと思うから、心配しなくて良いと思うよ。妹が落ち着いたら、ちょっとマシになるだろうし」
 離婚に対して一家言持っている玲の言葉に、少しだけ首を上げて玲が言う。
「それまで、この針の筵状態?」
「そうなるだろうけど。仕方が無くない?」
「って言うかさぁ」
 亮と玲のやり取りに割って入って、澄華は言う。
「妹が落ち着かなかったら、どうなんの?」
「さぁ」
 玲が肩を竦めた。黒目の大きい瞳には、相変わらず何の感情も浮かんでいない。
「元々が歪だったんだから、壊れても仕方が無いんじゃね?」
「玲ちゃんってば、シビアー」
 容赦の無い批評に、亮が力無く呟いた。虚ろな呟きは、部屋の中に響いて消えた。

■■■■■

 サクラトウコは、プリントの提出期限である金曜日になっても登校して来なかった。性質の悪い風邪でも引いたのだろうか。それか、なんとなく気分が優れないのか。どうあれ、澄華と違って彼女にとって家というのは居心地が良いのだろう。這いつくばってでも学校に来ようとする澄華とは違って。
 深く考えることなく、サクラトウコの机の中から取り出したプリントを、澄華はそのまま担任へ提出した。
 澄華があざみと遭遇したのは、放課後の下駄箱の前である。
 部活動や委員会に所属していない生徒は、速やかに帰宅することが推奨されている。野外で行われる部活動に向かう者、スクールバスの時刻の待ち合わせでぶらつく者、習い事に急ぐ生徒などで放課後の玄関は無秩序にごった返す。
 澄華はなるべく、その時間から外れて下駄箱を利用するのが習慣だった。
 閑散とした玄関には、澄華とあざみの姿しか見当たらない。セーラー服ばかり見慣れている澄華の目に、ブレザー姿のあざみは浮かび上がって見えた。
 お互い、顔を合わせてぎこちなく頭を下げる。
 口を開いたのは澄華だった。
「今、帰り?」
 それ以外の何があるってんだ。自分の機転の利かない言葉に、澄華は内心で舌打ちをした。
 頷いたあざみが、靴を脱ぐ澄華の様子を見ながら言う。
「ごめん、長谷川さん。教えて欲しいことがあるんだけど」
「なに?」
 思わぬ申し出に、澄華はきょとんとして顔を上げた。あざみが微かに首を傾げながら言う。
「『フジコさん』って何?」
「あぁ――」
 教室のど真ん中で、あれだけ声高に騒いでいるのだから、あざみの耳にも入って当然だ。おまけに、これだけ噂が浸透しまった後では、生徒たちの中で『フジコさん』の存在は当たり前のものとして認知されていて、意味を確認するものなどいない。突然、教室に放り込まれたあざみにして見れば、不可解な共通言語にしか思えないだろう。
 澄華は頭をかき回しながら言った。
「なんか流行ってるんだよね。ウチの学校限定の怪談みたいな」
「怪談?」
「うん。花子さんとか、口裂け女的なアレ。わたしも良く知らないんだけど、不死身の子で『フジコ』らしいよ」
「ふぅん?」
 澄華は記憶をほじくり返して、仮想空間のコミュニケーションツールに姿を表す幽霊に関しての情報を掻い摘んで話した。不審そうな顔をしていたあざみだが、やがて澄華の説明に納得がいったらしく顎を引く。
「なんか嫌な感じがしたから、気になってたんだ。分かった。ありがとう」
「どういたしまして」
 どちらともなく別れの挨拶をして、玄関を出てすぐに別れた。
 ブレザーの背中が、真っ直ぐに校門を目指していく。あざみは徒歩で通学しているらしい。
 女子中学生にしては凛として伸びた背筋を見るともなく見ながら、澄華は自転車のカゴに鞄を押し込んでペダルに足を掛けた。

続く

※この作品はエブリスタでも掲載しています。