声とは
『哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。
021.声とは?
ふうか氏のおもちゃでこういうピアノがある。
幼稚園だったかの雑誌の付録だったんだけど、これがなかなかよくできてて、普通の電子音が鳴るほかに、声を録音してそれを音階ごとに再生することができる。
つまり「やっほー!元気ですか?」と言ったら、男性のような低音のやっほーから宇宙人のような高音のやっほーまで聞けるわけです。
で。
本題なのだが、普段ふうか氏とあんまり声が似てないとおもっていたのだが、ふうか氏がアハハと笑いながら、鍵盤を押して自分の声の高さを変えていく。
――めっちゃわたしの声を通りすがった気がする、今――
ドキーッとした瞬間であった。
わたしは自分の声があんまり好きじゃない。
昔、ラジカセで自分の声を録音して聞いたら「ま、マジか…」って感じでなんかすごい嫌だったのだ。自分で聴いてる声と全然ちがう…という、まあ一種のあるあるなのだが。
10年近く前、テレビを見ながら、「この子ぱっと見普通に可愛い女の子だけど、しゃべるとオタクだと一瞬でわかるな~」という失礼極まりないことを口走ったら、「しゃべるとオタクだと一瞬でわかるのは雪さんも同じだとおもうけど」と言われ、かなり衝撃的だった。
「この前二次会のビンゴで当たって、自己紹介とおめでとうの言葉を言ったときも感じた」
と言葉が続き、おいおい嘘だろ、だいたい15秒ぐらいしかしゃべってないぞ…しかも「ご結婚おめでとうございます」とか内容そんなんだぞ…と震撼した。
ただ、わたしは母さんとも声が似ているのである。だけど、かなり母さんはまっとうな大人の女性の声をしている。(まっとうというのもおかしいが)
よって普段は全然似てない。
ただ電話で、「はい、〇〇ですけど」って出る時の声色がめちゃめちゃ似ているらしくて、すごい間違われる。
たぶん、会社で取引先と電話していた時の声も母さんに似ていたと思う。
ようは、使い方で声は違って聞こえるのだ。
よそ行きの声をしたときのみ、母さんと声が似る。
ふうか氏とわたしはやっぱり声質が似ているようだ。でも、使い方はわからないな。
すでにわたしとは違う方向で癖のあるしゃべり方をするので、ふうか氏もよそ行きのときの声だけ三世代共通の声になるのかな。
声というと、以前描いた4コマのことを思い出す。
右側のほうの4コマです。
上の記事の制作メモにも書いたんだけど、昔公衆トイレに入ってた時に、ドアの外で順番待ちしてる幼い子どもの「まだー?」が聞こえたときにやたら焦ったことがあって、そのとき、ひとって【『声』に応えなきゃ】っておもう生き物なのかな…と思ったのだった。
みんなが色々言う。
実生活でも、SNSでも。
自分が否定されているような気持ちになったり、自分はどうなんだっていうのを言わなきゃいけないような気持ちになったり。
でも、べつに応えなくったっていいんだとおもう。
応えようとし続けたら、きりがない、破裂しそう、それだけで疲れてしまう。
好きな人の声には特に応えたいとおもってしまう。でも、それだって無理に応えなくていい。そのひとの口をふさぐ必要もない。耳をふさぐ必要もない。ただ、声に支配されてしまわないこと。
自分の声が聞こえなくなってしまうから。
今回、ヘッダーの絵は上の4コマから取りました。
新しいのを描こうかなと思ったけど、これがぴったりだなとおもったので。
ひさびさだし、ちょっとハードルを下げたい…。
間が空いてしまったけど、まだまだ細々とやっていきたいなとおもっています。
それこそ、声、出さないと全然出せなくなってしまうので。
聞くのは好きなんだけど、やっぱりそれ一辺倒だと不健康なのだ。
この『哲学的な100の質問』ではとにかくしゃべるように書いている。
とにかく出していこう、声!
過去の回答もマガジンにまとめてありますので、よければどうぞ。
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