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月さびよ。の第二百ニ首

第二百ニ首
月さびよ昔語りののあとの
静寂しじまは風に運ばれてゆく
─── 音無桜花

2024.11.13.


『月さびよ明智が妻の咄しせむ』

 

松尾芭蕉の句です。

初句『月さびよ』の一語に衝撃をうけて、いつか『月さびよ』を用いた短歌を詠みたいと思っていました。

私のなかで「月さび」の風情を思わせるのは初冬の月。
冴え冴えとした空気と、わずかに秋の色味を残した月が、私のイメージする「月さび」の姿です。

初冬・十一月の月は私が一年のなかで最も好きな月で、望月前後の数日間は格別に美しく感じます。
この時期に『月さびよ』の一首を詠もうと決めていました。



さぁ十一月!
待ちわびた月を見上げながら『月さびよ』の一首を!

…………と取り組んでみたのですが、言葉が続きません。
自分が詠みたい風情や情感は目の前にあるのに、どんな言葉を継いでもしっくりこないのです。

ここで初めて『月さびよ』がその一語だけで完成されていて、世界を確立している事に気づかされました。

芭蕉の俳句ではこれに『明智が妻の咄しせむ』と続き、芭蕉がこの俳句を詠んだ場面の空気や情感を表しています。
凄く味と深みを感じる、しみじみとした俳句です。


しかし、芭蕉が『明智が妻の咄しせむ』とした情景は「月さび」の下での出来事。

閑寂な月が静かに照らす風情は『月さびよ』の一語で表し尽くされています。

他の言葉を添えずとも、月の姿がありありと浮かぶほど『月さびよ』の一言は強い力を持っています。


さて、どうしよう。


詠みたい情感を表現するために、あれやこれやと言葉を探してみた結果が冒頭の一首。

不遜ながらも偉大な俳句に向き合った結果、芭蕉の句の場面を少し拝借して「月さび」の風情を詠んでみました。

本来ならば「月さび」の空気感をそのまま歌にしたいのですが、月の光を歌中に記す事なしに「月さび」の情景を表現してみました。
芭蕉の句へのチャレンジでもあります。


なかなか “チカラ” が必要だった一首。
如何だったでしょうか?


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