性被害というワクチン
幼少期に 私は3度 性被害にあっている
性被害が まるで性ワクチンのように
男性という菌を
頑なによせつけないほど
心身に影響を与えてしまうものだと知っている。
1度目の性ワクチンは 4歳の頃だったろうか
鍵っ子で 友達もいなく
一人で遊んでいたら 中年のおじさんに
すごく優しい声で 声をかけられた。
親の愛情に飢えていた。いつも叱られてばかりで
子供が喜ぶ 遊び場には 連れて行ってもらった事がなかった。
みんなが観ている 東映子供祭り
映画館のスクリーンで観るマンガへの憧れ
「東映のマンガ祭りに 連れて行ってあげようか?」
優しい口調と眼差しを信じて
私は ついて行ってしまったのだ。
暗い映画館の中で
スクリーンいっぱいの映画が始まった。
おじさんの手は 私の太ももにのせられていて
その ゴツゴツした手が
私のスカートの下に入ってくるのを感じた瞬間
映画を見たいと言う思いより
その手が向かう方向に 気持ちが奪われた
「嫌だ」と感じた瞬間 私は 走ってその場を逃げ出した。
2度目のワクチンは 幼稚園の年長の時
知的障害のある高校生ぐらいの男性だった。
一人で 公園で遊んでいると
彼は 必ず私を強引に暗がりに連れて行った。
押し倒され 必ずパンツを剥ぎ取られ 丸出しにされた
私のお尻と性器を見ると 笑みを浮かべ
満足気に帰って行くのだ。
どんなに抵抗しても 嫌がっても 必ずパンツを剥ぎ取られた。
パンツを剥ぎ取り 性器だけ見ると満足して帰る彼から
学んだ事は 異様な空気と目
抵抗をしなければ 叩かれる事なく
その時間が その行為が 早く終わる事だった。
この性被害の期間は
年長からその土地を離れて引っ越した
小学校2年生の夏まで 2年半続いた。
大阪から徳島に引越しした日
子供心に あの男ともう会う事はない
「終わった」と安堵した事をよく覚えている
親には言えなかった。「親に言うと叱られる」から言えなかったと言う
それ 以前の問題だったと思う。
ヒステリーで感情の起伏の激しい親に
自分の気持ちや考えを素直に言えるような環境ではなかったのだ。
この性ワクチンに対して思う事は 私が去った後 私の代理人として
私と同じように この男性から性被害を受けている少女が
必ずいる事だろうと想像すると 心が痛い。
痛いのです。
3度目のワクチンは 小学校4年生の時
親戚のお兄さんからだった。
曾祖父の法事で たくさんの人が 我が家に来ていた
親戚のお兄さんが 私をとても可愛いがってよく遊んでくれた。
優しいお兄さんだと思っていた。
「青龍(仮名)なんでも好きな物を買ってあげる」
親から 好きな物など 買ってもらった事がないので
喜んでお兄さんについて行った。
以前から欲しかった
大きな箱にお菓子がいっぱい入っているお菓子を指さして
「あれが 欲しい」「いいよ」と優しい眼差しで買ってくれた。
しっかりお兄さんに懐いていた。
「青龍 2階の部屋で遊ぼうか」「うん」足取りも軽くついて行った。
電気がついていない暗い部屋 電気をつける事なく
お兄さんは私を押し倒して 私の上に覆い被さったかと思うと
私の耳元からうなじにかけて
「ハア ハア」と言う なまぬるい吐息を吐いた。
ギョッとした。何 何なのとばかりに
2度目のワクチンの記憶が 瞬間的によみがえり
思い切りの力を振り絞って そこから逃げ出した。
さすがに 3度も性被害のワクチンを打つと
自暴自棄になっていた時の10代も
その性被害というワクチンのお陰で
性に関してだけは
恐怖と不快感が先立ち 防波堤のように
男を よせつけない 心理が働いた。
男性が笑顔で近づいてきても
女性を性の対象として求める時の
あの異様な空気。
赤ずきんの絵本に出てくるオオカミのように
物にしてやる 食べてやると言った
目の奥に隠れた闇を
私は 敏感にキャッチしてしまう。
今度 この男性にあったら
性的な行為(キス)を求められる
ともすれば 身体を求められるかもと感じた途端に
恋愛は ストップ それ以上は進めない。
「もう 会わない」と言う事になる。
映画や少女漫画に恋愛に関心はあっても
あの空気が
あの目が 私の身体をこわばらせ
巧みな笑顔と言葉で そに場所から逃げ出しているのです。
男の性を受けつけられない。
私の性被害は ワクチンのようなものだったが
それでも 心にしっかり
性に対する恐怖心 嫌悪感を残した。
レイプに似た強烈なワクチンを打たれていたら
結婚できなかったと思う。
男性の性を 受け入れる事は 生涯できなかったと思う。
私が 62歳になった今も性教育の講演活動を
保護者 教員 幼稚園 保育園 小学校 中学 高校 大学と
地域で行っているのは
歪んだ性が 大きな闇となって 心の奥に沈み込み
心身を硬直させてしまう事を伝えたい。
性被害が 人を純粋に愛する行為
信じる行為を奪ってしまうものだと伝えたいのです。
自分の心身を大切にすること
他者の心身を大切にすること
命の尊厳について
助産師の立場を利用して
いつまで できるかわからないけど スターシードとして
講演 講座活動は続けます。
保護者向けの性教育の講演会を行う時
私は 自分が受けた性被害の話しを必ずします。
私の講座 講演がきれいごとではなくて
他人事ではなくて
個々の問題であり 自分の子供達を
性被害から守る為のものだと言う事を
深く感じてもらいたいからです。
保護者対象の私の講座に30人のママが受講すると
その中の 一人か二人は
性被害を体験しているママがいます。
講座後 私のもとに来て
その恐怖 辛かった事を
パンドラの扉が開いた如く
泣きながらお話しされる方もいます。
そんな涙を見たとき 世の中には
口を閉じているだけで 性被害にあっている方は
大勢いるのではと想像するのです。
性被害にあってるからこそ
同じ痛みをもった方に寄り添うことができる。
誰かを性被害から守る事ができると
私は思うのです。