【気まぐれエッセイ】賢いことがバレないようにしなくてはと思っていた
「賢いことがバレないようにしなくてはと思っていた」
これは、フジテレビ系列の『ボクらの時代』という番組で出た、東大卒弁護士・山口真由さんのコメント。
私はこれを聞いたとき、深く共感した(ちなみに私は定時制高校卒 笑 )。
中高時代の成績は取り立てて良い方ではなく、可もなく不可もなくだった私がこんなことを感じていたなんて、他人からすればちゃんちゃらおかしい話である。理解してくれるのは、きっとこの世に母だけだろう(この前打ち明けたら、母はよくわかってくれた。昔から私は幾度となくこの親バカっぷりに支えられている)。
他人がどう思うおうと、私がある意味賢い(と思っていた)ことを、どこかコンプレックスのように感じてきたのは事実である。リアルな知り合いには絶対言えないから(笑)、ここに記しておこう。私が思春期にずっと抱えてきた「悪くないはずのことを恥じるような気持ち」を、同じように持っていた人がいたことが嬉しかった(東大卒の彼女の言葉であれば、誰もが納得いくだろうね)。
同じ回でフジテレビアナウンサーの佐々木恭子さんが、一時期話題になった上野名誉教授の祝辞を聞いたとき「今まで自分の中で蓋をしてきた感情の蓋が開く感じがした」と仰っていたけど、山口さんの話をきいたときの私は、まさにそんな気持ちだった。
長い間(20代前半くらいまで)私は、私が使う言葉を「本でしか見たことない」と友達から言われることが恥ずかしかった(大人になると、そんな風に言われることがなくなったけど 笑)。
熱く述べた意見に対し、ポカンとした顔で「そんなこと考えたこともない」と返され、「歩志華ちゃんって変わってるね」と言われるのが怖かった。
自称賢い私が言うところの賢さとは、感受性の強さ、思慮深さ(悪く言えば考えすぎるところ)と言い換えられると思う。とにかくこれらがバレないようにしなきゃと思いながら、私は思春期を過ごしたのだ。
大人になるにつれ、私と同じだけの熱を込めて持論を返してくれる人と巡り会える機会が増えて、「ド厚かましいな私! 隠さなきゃ引かれちゃうほど賢くなんてないから、全力で生きてよし!」と思うようになったけれど。むしろ無知をなんとかしたほうがいい(苦笑)
そして逆の意味で救ってくれたのは、脳科学者・中野信子さんの「かわいいはコスパが悪い」というコメント。彼女は、かわいいの価値について「目減りしていく価値だから追及してもコストパフォーマンスが悪いじゃないですか」と話されていた。
私の悩みの大半を、根底から覆すような考え方だった。
私は、自分が持っている「感じやすく、物事を深く考える」という特徴は、人に根暗な印象を与えると思ってきた。そしてそれをカバーするためには、美しくなければいけないと思ってきたのだ。洗練されていてスタイルが良く綺麗なら、明るく、というより、イケているように見えるのではないかと。
だから、容姿を磨くことに執念を燃やしてきた。それなのに努力に見合う結果が出ず、いつも苦しかった。
かわいい、つまり容姿(内面のかわいさは劣化するものではないので、この場合は容姿を指すだろう)の価値を、数値化できる他の物と同じように扱う考え方に、衝撃を受け、そして救われた。
あぁ、私が必死で追い求めてきたものは、所詮賞味期限付きのもので、むしろ私が隠そうとしてきたものこそが、普遍的に価値があるものなのだ。
ようやくそう思えた。
綺麗になりたいという願望は女の本能だと思っているので、それを否定するつもりは毛頭ないが、私の美意識にまとわりついていた不純物が剥がれ落ちた、そんな気がする。
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「こんなことで悩んでいたのは自分だけじゃなかったんだ」と知り気持ちが軽くなったことや、「そんな考え方もあるのか」と目からうろこが落ちる思いで悩みを解決できた経験が、きっと誰にでもあるだろう。
そんな感じで、自分と同じ感覚と違う考えに、救われた回だった。
私の投稿が、誰かにとってそのどちらかになればいいな、という願いを込めて……。ご覧くださって、ありがとう。
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