見出し画像

わたしの夢は、そのままいきれる集落創って棲むことだ。

現代は

純粋に、人生を本質的に生きようとするほどに

我慢しなきゃならないような

あらゆる枠組み敷かれてしまって

どうして純粋な人がいちはやく

その歪みの中を、歯を食いしばって

人からは非現実的だと、

夢想家だと言われながら

生きなきゃならんのか。

私たちは、誰よりずっと

現実を見て、それを目をひん剥いてみてきて

それで今の現実があまりに歪んでいるから

そこに立ち向かって

生きているのだ。

変人でなくて、

ただこの世界で生きるに、真っ当すぎる。

私たちは、心から

本質的なことを全うして挫かれて

そういう日々を常々おくっているだけ。

わたしは、そういう人たちが

生きれるような

場所を作りたい。

私がそのまま、生きられる場所。

一人でやってもさびしいから、

そういう人が世界から集って集落にするのがいい。

本質的なことからズレて

人も自分も騙し騙し生きている

そういうことしないでいられる場所。

今のレールに敷かれて、評価されるような方法で仕事を進める

そんな生き方はもう辞めた、という人たち。

そういう人たちがそのままに生きられる職業が

いまは、殆どない。

そうやって生きようと思ったら

全部まとめて
殆ど貧乏芸術家にならざるを得ない。

そういう、いわゆる特殊な職業じゃなくて

先生でも、小売でも、会社員してても

そうやってそのまま生きられるのが、いい。

きっと人間が歪んできてしまったから、

だから、芸術家なんてものが
生まれてしまった。

歪む前は、ぜんぶの人が芸術家だったのに。

ゲイジュツカと呼ばれている人の中にも、

そうやって生きている人は殆どいません。

そして、ゲイジュツカでなくとも

そうやって生きている人は、いる。

ただ、絵を描いたり音楽や踊りをしているから
芸術家というわけではないのです。

そうやって生きている人が、

芸術家なのです。

そして、現代ではゲイジュツカであろうとしたら

なにかものすごくみんなと違ったずば抜けた感性風のもの持ってないと

そう名乗れないような雰囲気がある。

それも気味が悪い。

ただの当たり前に生きている人

というだけだったはずなのに。

そういうようにするから、せっかく素晴らしい感性があったのに

既に芸術家だったのに、ゲイジュツカになろうとして

感性を濁らせてしまっている。

とっても真っ当だったのに、

自分から 変人です と言わんばかりの

偏屈ばかりになって

だから芸術家は偏屈というイメージまでできて

人々が純粋なものに出会う機会までなくなっていく。


結局世界のどこにも

真っ当な人がいなくなる。

とてもふつうに

それは全くすごいことでもなんでもなく

真っ当に生きている

そういう人たちが棲む森を

私は創りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?