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「ろ過」か「蒸留」か。あるいは両方か。

最近、エレファントカシマシの曲に改めて感動している。
それぞれの言葉の持つ純粋な美しさ、力強さ、そしてその連なりが世界観を作る。
そしてこうして作られた曲は、宮本さんが歌うからこそ輝く性質を持つ。
この人にしか歌えない。
いや、言葉と音を真似れば当然、誰にだって歌うことはできるんだけれど。

そんな曲の感想に、こんなものがあって気になっていた。
「何度ろ過を重ねたら、こんなにも美しい曲が生まれるんだろうか。」

そうか、ろ過か。
宮本さんは読書が好きだと。
森鴎外や夏目漱石などの古典が。
また、中国のお茶が好きで急須に凝っているとか。
そうした諸々のエッセンスが、「宮本浩次」というフィルターでろ過され、雑味の取り除かれた純な何かとして現れる。
それが時に曲になり、力強い歌声に乗せて届けられる。
確かに、そんな風にも考えられる。


自分は、どうだろうか。
何か文章やアイデアを作る時、タネになるエッセンスは「ろ過」されるのか、「蒸留」されるのか、あるいは両方なのか?
仮にも喫茶店で働いて、コーヒーに熱中していた身からすれば「ろ過」に馴染みはある。

コーヒー豆は多層的な存在だ。
美味しい成分も、まずい成分も、一つの個体の中に同時に持っている。
だから、その”まずい=飲んでも美味しくない成分”を意図的に浮かし、”美味しい成分”のみ凝縮した液体をいただく。
ろ過だ。
このろ過に最適な条件(湯温、抽出時間)は、豆によって違う。

このろ過に最適な条件は、もちろん、人間にもあるだろう、そしてそれぞれによって違うだろう。
自分にとって、「何か”良いもの”を生み出すために最適な条件」が何かを把握し、ろ過することが、美味しいコーヒーが生まれる結果と通じるのかもしれない。


だが一方で、「蒸留」にも馴染みがある。
ウィスキーやジンが好きだ。
「ろ過」と「蒸留」における最大の違いといえば、アルコールの有無じゃないかと考えれば、ヒトを酔わせるものを作るような時に最適なイメージとなるのは蒸留と言えるのかもしれないな、とふと思った。

そうした意味では、結論は両方使うということ。
◆落ち着いた、穏やかなものを作りたい時には「ろ過」型
◆ヒトを熱狂させ、酔わせたいような時には「蒸留」型

まあ、こんなにきれいに使い分けができるかは大きな疑問だけれど、こうして考えるきっかけをくれた宮本さんに感謝して終わります。

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Tomohiro Iida
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