第12回 健康情報と働きやすい職場づくり
2019年4月の労働安全衛生法改正で、労働者の心身の情報(以下「健康情報」といいます)の取扱について適正な措置を行うことが事業主に義務付けられました。
近年、個人情報保護への関心はますます高まりつつあります。
この観点からも健康情報の取扱いについて慎重になることに異論はないと思われます。
しかし、それだけにとどまらず、健康情報を適切に取り扱うことは、社員にとっても、会社にとっても、非常に重要なことだといえます。
例えば、こんな状況があったらどうでしょう。(※あくまでフィクションです。)
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<社員Aからの視点>
健康診断の時にがんの疑いがあるといわれ、精密検査を受けたところ、初期のがんが見つかった。
すぐに仕事を休む必要はないが、医師からは月に1回程度の通院を指示されている。
早退や年休などで対応もできるが、念のためと思い、上司である管理者に、がんであること、月に1回程度の通院が必要であることを報告した。
数日後、同僚から「お前、がんなんだって?大丈夫か?何かできることがあればなんでも言ってくれ」と言われた。
上司に病気のことについて口止めしたわけではないが、自分の気持ちにも整理がついていない中、病気のことが職場の噂になっているかと思うと、落ち着かなくて仕事に身が入らなくなってしまった。
<人事担当者の視点>
人事部に現場の管理者から、「所属社員ががんに罹患した」と報告があった。
話を聞くと、業務に大きな支障はなく、当面の配慮は必要ないように感じた。
人事担当者は、管理者に「デリケートな話なので、あまり広めないように。」と伝えたが、管理者からは「業務運行の差し繰りもあるので、Aが病気であることは関係する社員に知らせる必要がある。」と言われた。
人事担当者は、あえて病気であることを他の社員に伝えなくても、「Aの事情で」とか「業務の都合で」くらいの説明で足りるのではないかと思ったが、管理者にどう説明するか迷ったので、ひとまず現場の判断にゆだねることにした。
<人事部長の視点>
人事部長が喫煙室で煙草を吸っていると、
従業員同士の会話で「Aさん、がんだって?」「そうらしいね、仕事辞めちゃうのかなぁ」という声が聞こえた。
それとなく「Aさんから聞いたの?」と聞いてみたら、現場の管理者から個別に伝えられたという。本人がそのことに了承しているかは気になったが、ひとまず様子を見ることにした。
<社員Bの視点>
職場のうわさで、Aさんががんだという話を聞いた。
実のところ、自分もがんを治療中であり、薬の副作用もあって、職場には伝えなければと思いながらなかなか言い出せずにいた。
こういったうわさを聞くと、おそらく自分が職場に伝えたら、あっというまにうわさが広まって、働きにくい状況になることが予想されるので、もうしばらくは黙っておくことを決意した。
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以上の設定は、あくまでフィクションですが、AさんやBさんの立場に立つとどう感じられるでしょうか?
企業には安全配慮義務があり、時には社員の健康管理にまでその義務が及ぶことがあります。
この安全(健康)配慮義務に違反しても罰則が科せられるわけではないのですが、この義務を怠ったことにより、社員がけがをしたり病気になったりした場合には、会社に損害賠償責任が生じるおそれがあります。
安全(健康)配慮義務を果たすためには、日ごろから社員の健康情報を把握しておくことが重要となってきます。
しかし、心身の健康・病気に関することはデリケートな情報を含むことも多く、会社に伝えるのは抵抗感があるという社員も多いのではないでしょうか。
社員が勇気をもって、会社に自分の病気のことを打ち明けてくれた時にどうするのか、きちんと考えて準備しておかないと、AさんやBさんのように働きにくくなってしまう社員も出てきてしまうかもしれません。
なお、会社として、社員が病気であることを知らなければ安全(健康)配慮義務を免れるのか、といえばそうでもないようです。
その判断については個々別々のケースにおいて訴訟等で争うことになると考えられますが、それ以前に、そうならない状況、つまり情報を得やすい環境をつくっておくことが大事だと私は思います。
社員の健康状態に気づかずに働かせることで心身の状態を悪化させれば、社員の生命の危険にもつながりかねません。また、会社として必要な措置を講じていなかったとしたら、会社として責任を問われる可能性もあります。
(体調不良で危険な作業をさせれば、事故や労災の危険性を増加させることにもなります。)
今回の法改正の目的は、社員が安心して産業医等の健康相談を受けることができたり、社員から提供された健康情報を基に会社が適切な就業環境整備を行えるようにするところにあります。
社員が不安を抱くことなく、会社に健康情報を伝えられる環境を整備するため、厚生労働省からは指針(※)が示されています。
その指針の中では、健康情報の取扱いについて規程を定め、運用することが求められています。
健康情報について、誰が、どうやって、どこまで扱うのかなど、その取扱いをルール化することで、病気などデリケートな情報についての申出しやすい環境を作る。
健康情報が得られやすくなることで、社員の状況に応じた必要な配慮を行うことができるようになる。
これらのことが、社員の健康を守り、企業としての安全(健康)配慮義務を果たすとともに、安心・安全に働くことができる職場を形成することにつながっていくのだと考えられます。
会社に明確な規程があったなら、上述の例でも、人事担当者は情報の扱いについて管理者に指示できたかもしれませんし、喫煙所でうわさを聞いた人事部長も何らかの対応(本人の同意なく拡散しているなら被害の拡大を防ぐなど)ができたのかもしれません。
社内でのルール作りを進め、働きやすい職場環境を作ることが、結果的に生産性の向上や人材流失の防止につながる可能性もあります。
健康情報等の取扱いについて、社内で検討する際には、安全衛生委員会で話し合ったり、産業保健スタッフを中心に検討の場を設けたりするのも一つの方法です。
また、お近くの社会保険労務士もお役に立てるかと思います。
健康管理は業務と関係が薄いように思われるという話もよく聞きますが、仕事をしているのは「人」なので、当然に健康問題が業務に直接影響することになります。
その健康管理の根幹に関わるのが健康情報管理であり、それが労働安全衛生法において明確にされたということは、国としても健康情報管理については重要なものとして捉えているのだと推察されます。
事業場の規模にかかわらず、健康に関する問題は起こり得るものです。
これを一つの機会として、労使で健康管理について話し合ってみてはいかがでしょうか。
※ 労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針(平成30年9月7日)
https://www.mhlw.go.jp/content/11303000/000343667.pdf
<参考>
事業場における労働者の健康情報等の取扱規程を策定するための手引き(2019年3月)
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