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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#2
正頼、帝と東宮の御前で年内の節会を語る
かかるほどに、上達部、親王たちなど、みな仁寿殿に参りたまふ。殿上人、候ふ限り参れり。左大将、三条院に御菓物、御酒など取り寄せて、その御局に多くの上達部、親王たちなどおはしまして、御酒参りなどして、御物語上も東宮も。
(朱雀)「久しく由あるわざせず。やうやう風涼しく、時もはたをかしきほどになりゆくを、世間のことも忘れ、心の中行くばかりのことも、この秋してしがな。人々定めたまへ。人の齢といふもの、はかなきものなり。命あらむ限り興あらむことを見つつこそあらめ」とのたまふ。
東宮、「げに同じくは出で来む節会どもを、なほ御時のめづらしき累代にもしてしがな。かの吹上の九日、少し由ある九日にはなりなむ。またさやうならむことはべらばよからむかし。年の内出で来る節会の中に、いづれいとせちに労ある、定め申されよや」。
大将、(正頼)「年の内の節会、これをいづれと労ありて、朝拝など聞こしめす時はいと面白く、内宴を聞こしめす時もいと労あり面白し。三月の節会は、花とく咲く時はいと労あるほどなり。さてなほ殊なる花などは咲かぬほどなれど、あやしくなまめきてあはれに思ほゆるは五月五日なむある。短き夜のほどなく明くる暁に、時鳥のほのかに声うちし、五月雨たるころほひのつとめて、菖蒲所々にうち葺きたる、香のほのかにしたるなむ、あやしく興まさりて思ほゆる。菓物などの盛りにはあらぬほどなれど、わづかに時過ぎたるものなどのあるなむ、いと労ある。節供など聞こしめす時に、はたさらにもますものなし。七月七日、をかしうはあれど、殊なる面白きことはなくなむある。かれもありさまになむ。九日も、吹上を思ふたまふればいとこそ労あれ。それより後は、五日には劣るとなむ思うたまへらるる」。
上、(朱雀)「いとよう定めたまふなり。思ひしごとなり。さらに年の内の節会見るに、五月五日にます節なしとなむ思ふ。花橘、柑子などいふものは、時過ぎて古りにたるもめづらしきも、一つに交じるなむいとをかしき。そこにますものなくなむ。節する時の騎射、競馬も、さらに見所なしかし」
など笑ひたまふ。
訳
こうしているうちに、上達部や親王たちなどもみな仁寿殿に参上なさる。殿上人もその場にいるかぎり参上する。左大将は三条院から果物や酒などを取り寄せてみなで酒盛りとなり、帝も東宮も会話に打ち興じた。
帝「長らくおもしろい催しなどもなかったのう。だんだんと風も涼しくなり時節もまた趣のあるものになってきたのだから、世の憂さも忘れ心ゆくまで満足のする催しをこの秋にはしたいものだ。みなで話し合ってみようではないか。人の寿命という者ははかないものだ。生きているうちに興あるものを見たいものだね。」
東宮「ほんとうに、同じことならばこれから行われる節会などをさらに前代未聞のものにいたしたいですなあ。あの吹上の浜で行った重陽の節句はそれなりに趣のあるものであった。またそのようなことができればよいのだが。一年に行われる節会の中では、どれが一番風情のあることか、話し合ってみようではないか。」
左大将「年中の節会はどれも興あるものですが、元日の朝拝などはたいそう風情があり、内宴も風情がございます。
三月の節会は、桜が早く咲いたときなどは風情がございます。
さてまたこれといった花は咲かない季節ですが、不思議にも新鮮さを感じさせますのが五月五日でございます。夏の短夜が明るくなる暁に、ほととぎすがかすかに声をあげ、五月雨が降る頃の早朝、菖蒲があちらこちらの屋根に葺いており、香りがほのかにしているようなのは、不思議にも風情が増すと思われます。果物などが旬でななくとも、少々時節が過ぎたものなど残っているのは、風情があります。節会の料理などを食すにはこれ以上のものはありません。
七月七日、趣のある行事ではありますが、特にこれといった風情はないようです。ですがまあ、それもやりようでしょう。
九月九日も、吹上での催しを思い出しますと、たいそう風情があります。
それ以後の節会は五月五日には劣ると思われます。」
帝「いとよう論じてくれた。わたしの思ったとおりだ。あらためて一年の節会を見ると、五月五日に増さる節会はないようだ。花橘、柑子などというものは旬が過ぎて古くなったものも、めずらしいものも一緒とというのがおもしろい。これに勝るものはあるまい。節会に行う騎射や競馬はまったく見所はないけれどね。」
などとお笑いになる。
貴族そろって年中行事の品評会。
みなでといいながら左大将がずらずらと論ずる。ほぼ全ての行事を「すばらしい」と評価している。「もう少し論点を整理してから発言しろよ」と言いたいところ。他の者の発言がないのは、なかったのか、書かれなかったのか。議論ベタな日本の会議の典型である。
帝、仁寿殿の女御、正頼、初秋の歌を詠む
かく御物語したまふほどに、日夕影に、なほいと七月十日ばかりのほどに、なほ暑さ盛りなり。風なども吹かずあるに、人々、「少し涼しう風も吹き出でなむ。さるは今日秋立つ日にこそあれ。しるく見ゆる風吹けや」など、上達部のたまふほどに、夕影になりゆく。めづらしき風吹き出づる時に、上かくぞ出だしたまふ。
(朱雀)めづらしく吹き出づる風の涼しきは
今日初秋と告ぐるなるべし
とのたまふ。御息所、御簾の内ながら、「げに例よりも今日は」とて、
(仁寿殿)いつとても秋の気色は見すれども
風こそ今日は深く知らすれ
と聞こえたまへば、上うち笑ひたまひて、
(朱雀)「されどまだ外にぞ侍る。
立ちながら内にも入らぬ初秋を
深く知らする風ぞあやしき
そよと聞こゆる風なかりや」とのたまふ。
左大将、「それもいかが」とて、
(正頼)外に立つと頼みしもせじ
あだ人の秋は出でても過ぐといふなり
と聞こえたまふ。
かくて、そこにて日暮れぬ。上に帝渡りたまふとて、御息所を、
(朱雀)「今宵だに参上りたまへ。例の御迎へに奉らば、返したまはむものをや。いざもろともに」とて立ちたまへり。
御息所、(仁寿殿)「これも返しやすき御使になむ」と聞こえたまひて、
(仁寿殿)「まことは、何かは」とて、
(仁寿殿)夏だにも衣隔てて過ぎにしを
何しも秋の風をいとはむ
と聞こえたまふ。
(朱雀)「『おのれつらくて』とは、これをやいふ。あなさがな」とて、
(朱雀)「早う」とのたまふ。
(仁寿殿)「まめやかには、いまただ今」と聞こえたまふ。
(朱雀)「例の返したまふなよ。よしさらばみづからもよ」とて渡りたまひぬ。
かくて、上達部、みな御供に参りたまふ。上より蔵人御供奉れたまへり。女御参上りたまひぬ。
〔絵指示〕ここに御息所、上などおはします。
大将の君、御子引き連れて、三条の院へ帰りたまふ。
右大将は、宰相の中将もろともに、殿へ帰りたまひぬ。異人は、あるは宿直に候ひたまふもあり、里にまかでたまふもあり。左大将の君もまかでたまふ。婿も子どもも、北のおとどに送りたてまつりたまひてなむ、あなたこなたへおはしましける。
訳
こうして話し合っているうちに、夕方の日差しとなったが、まだ七月の十日ほどなので、まだ暑い盛りである。風なども吹かずにいるので、人々は
「少しは涼しい風が吹いてほしいものですなあ。そういえば興は立秋ではありませんか。はっきりと秋だと感じさせる風よ吹け。」
などと上達部がおっしゃると夕日も暗くなっていく。珍しくも涼しい風が吹いてきたので、帝はこうお歌いになる。
(帝)珍しくも吹く風の涼しさは
今日が立秋だと告げているのであろう
女御は御簾の内のまま、
「ほんとうにいつもより今日は秋らしくございますね。
(女御)いつも立秋の日は秋の様子を感じさせますが
今日の風はいっそう深く感じますこと。」
と申し上げると帝は微笑みなさり、
「しかしまだ秋は御簾の外におるなあ。
(帝)立ったまま御簾の中にも入らない初秋を
深く感じさせる風とは不思議なものだ。
『そよ』とあなただけに呼びかける風があるのではないか。」
などと意味ありげな発言をなさる。
左大将「それはどうでしょうなあ
(左大将)外に立てと頼んだわけでもございますまい。
浮気者の秋は来たかとおもうと過ぎ去ってしまうといわれてますから」
と申し上げる。
こうして仁寿殿の日は暮れる。清涼殿に帝はお戻りになると言うことで、女御に
(帝)「今宵は参上せよ。いつも迎えにも応じないで返してしまうのだから、今日は一緒に。」
といってお立ちになる。
女御「これも返しやすいお使いですけど、……いえいいえ嘘ですよ。仰せのままにいたしましょう
(女御)夏でさえ衣を隔てて過ごしていますのに
どうして秋風をいといましょう」
と申し上げる。
帝「『おのれつらくて』とは、このことをいうのだろう。まあ意地の悪い。」
とおっしゃり「早く」と促しなさる。
女御「わかっておりますわ、ただ今」
帝「前みたいに迎えの使いを返しなさるなよ。そしたらわたしみずから迎えに来るからね。」
といってお戻りになる。
こうして上達部もみなお供して清涼殿へと参上する。帝は女蔵人を女御のお供として差し上げる。女御も清涼殿に参上した。
〔絵指示〕略
右大将の君は仲忠と一緒に自宅へお帰りになる。ほかの者たちは宿直としてお仕えするものもおり、自宅に帰るものもいる。左大将の君はご自宅に退出する。婿や子どもたちも左大将を北の対に送り申し上げた後、あちらこちらの御自室へお戻りになる。
帝は最後まで女御の浮気を匂わす歌をおくってからかう。
年中行事の品定めは、この後の相撲の節会へと続く伏線である。
相撲の節会と仲忠の結婚話がこの巻のテーマのようだ。