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休み方を習っていない僕たち

精神病と診断されてから17年が経ちます。いろんな経験をして今の僕に至りますが、その間に感じたことをこのnoteに書いていこうと思っています。

皆さんしっかり休めていますか?

精神病の人に最も必要なもの、それは休養です。休むことで英気を養い、次のアクションを起こすための力を蓄えることは、誰にとっても必要なことですが、精神病となると、その意味の深さが段違いに変わります。

一般的に”休む”というと、週末2日間とか、GW7日間とかというのが、”休み”とされるものです。普通の人たちは、「めちゃくちゃ休んだ!」という感想とともに、また仕事へ戻っていきます。

しかし、精神病となると、この休みが、1か月、半年、1年、5年、10年という単位で必要となってきます。僕の場合、7年間のんびりと過ごすことで、やっと社会生活を送れるまで回復しました。

このように”休む”と言っても、精神病のひとの”休む”は桁が違うわけです。

しかし、ただ休むといっても、しっかりと休むのは意外と難しいことです。なぜなら、僕らは洗脳されてしまているからです。

小学校、中学校、高校と、僕たち日本人は、「生産性を上げるための人材育成」をされてきました。「遅刻はしない」「休み時間は次の授業の準備をするための10分」「時間内に終わらせる」「みんなと同じことができるようになる」「夏休みは自己管理をする」などなど、社会に出ても平均点を取れるように、みっちり仕込まれます。

このように、社会の駒となるような教育を受けた僕たちは、「どうやって頑張るか」みたいなことを習っても、「どうやってしっかり休むか」ということについては一切習わないのです。つまり休み方を知らないのです。

これは意外と思うかもしれませんが、この洗脳は本当に強く、僕が病気になった時も、「みんなは今頑張ってるのに僕は。。。」とか、「こんなに休んでいいのかな?」とか、「早く治らなきゃ」など、休んでいる自分に罪悪感を感じてしまっていました。

そんな状態でしっかり休めるはずもなく、悶々とした期間を結構過ごしました。今でも、日曜日の昼下がりに昼寝していると、「こんなに寝てていいのだろうか」という気分になることがあります。

僕が住んでいたブラジルでは、休日を上手に使っている印象がありました。土曜日のランチをみんなで食べて、そのあとは、大体ベッドに横になってテレビを見ます。日曜日も予定がなければサッカーや映画などをベッドで見て過ごす。気が向いたら友達と出かけたり、ショッピングに行ったり。

とにかく、「休む」ということをしっかりと実践している印象がありました。逆に多くの日本人は休日に予定を入れるのに忙しいイメージです。

精神病は寛解したり治癒するまでにとても時間がかかるものです。その期間は、何よりもしっかりと休まなければなりません。でも、その罪悪感のせいでなかなか休めないのも事実です。

僕は、精神病の人にとって休む期間は、自分と向き合い、自分らしさを発見する期間だと思っています。休むといっても、ベッドで寝てなくても、少し出かけて、外の空気を吸ったりして、”なんとなく”過ごすのがよいと思っています。この”なんとなく”過ごす時間に、その後の人生を豊かにするヒントが隠れていると思います。

休めと言われたからって、ベッドで大人しくしている必要はありません。「休んでなきゃいけないのに出かけてしまった」なんて思う必要はないのです。気持ちや心の赴くままに過ごす時間。それが僕たちに必要な「休み」だと思っています。

自分なりの休み方を見つけて、しっかりと休んで、やりたいことができるようになりましょう。周りと比較したりして焦ってしまうことは禁物です。あなたという人間はあなたしかいないのですから。


全ては常夏の楽園リオデジャネイロで始まった。23歳で国費留学生としてリオに滞在していた僕は「統合失調症」を発症。いくつもの神秘体験をし、現地の精神病院への強制入院、帰国後には警察沙汰に。服薬に葛藤しながら回復するまでの7年間を赤裸々に綴った回想録をマガジンにて公開中。

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